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リンカーンの名演説

今日11月19日は、アメリカ合衆国の第16代大統領リンカーンが1863年、南北戦争中のこの日、ペンシルベニア州ゲティスバーグにある国立戦没者墓地の奉献式において、「人民の人民による人民のための政治」という演説を行ないました。この演説は、わずか2分の短いものでしたが、独立宣言、合衆国憲法と並んで、アメリカ民主主義の理念を明確に示すものとして、世界的に有名になりました。

1861年、アメリカでおこった南北戦争は、北部23州と、南部11州との意見の食い違いからはじまりました。黒人のどれいを使うかどうかが主な対立点で、工業の発達していた北部はどれい制廃止、大きな農場主の多い南部はどれい制維持です。1860年にどれい制廃止を叫んだ リンカーン が大統領に当選すると、南部は、北部と分れて「アメリカ連邦」を設立して、4年に及ぶ内戦がはじまっていました。

1863年7月1日から3日間、ゲティスバーグでは、南北戦争最大の激戦が行なわれました。南軍7万5千、北軍8万8千が激突し、北軍がかろうじて南軍を撃退するものの、両軍の死者は全体の1/4というすさまじいものでした。それから4か月後、戦場を戦死者の国立墓地とする式でのリンカーンの演説でした。

「87年前に、われわれの祖先は、自由を胸にいだき、すべての人は平等に作られているとの信条に身をささげ、この大陸に新しい国家を建設したのであります」と演説を開始し、「人民の、人民による、人民のための政府が、この地上より滅びることがないようにすべきであります」と結びました。

当時はマイクロフォンもなく、リンカーンの演説が始まってもカメラマンは気づかず、そのためこの歴史的演説を行っているリンカーンの鮮明な写真はありません。リンカーンの演説も祈るような小さな声だったためほとんど注目されませんでした。たまたま書きとめていた記者が記事にして有名になったということです。

リンカーンは、「自営農地法」で西部農民の支持を得、「奴隷解放宣言」で内外の世論を味方につけて1865年、北部に勝利をもたらせました。戦争終了直後に、リンカーンは暗殺されてしまいますが、この南北戦争の結果、工業国となったアメリカは、ヨーロッパからの移民による人口急増にもつながり、1890年代には世界最大の工業国へと発展していくのです。


「11月19日にあった主なできごと」
 
1805年 レセップス誕生…地中海と紅海を結びインド洋へとつながる海の交通の要・スエズ運河を建設した レセップス が生まれました。
 
1827年 小林一茶死去…江戸時代後期の俳人で、子どもや動物、自然を愛して素朴な歌を読み続けた 小林一茶 が亡くなりました。

1828年 シューベルト死去…『ぼだい樹』『野ばら』『アベ・マリア』など600曲以上もの歌曲や、『未完成交響曲』などの交響曲や室内楽曲、ピアノ曲などを作曲した シューベルト が亡くなりました。
 
1956年 東海道本線全線電化…米原〜京都間がこの日電化され、東海道本線が全線電化。電化完成により、東京、大阪間を走る最速特急が7時間半となりました。これを記念し、1964年からこの日を「鉄道電化の日」としています。

投稿日:2010年11月19日(金) 07:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)