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写真の父・ダゲール

今日11月18日は、写真を発明した人物として知られるフランスの画家で発明家のダゲールが、1787年に生まれた日です。

ルイ・ジャック・マンド・ダゲールは、パリに近いセント・オワスに生まれました。子どものころから絵がじょうずで、画家をめざすようになりました。いちじ税務署員として働きましたが、やがて風景画家として有名になります。そして舞台の背景画を描いたり、舞台の照明をてがけたりするうち、より本物に近い風景画を見せたいと「ジオラマ」を発明しました。これは、箱の中に風景画と物を置き、その箱の窓から中をのぞくと、照明などの効果によって、本当に風景が広がっているかのように錯覚させるしくみでした。

当時、ヨードガスで処理した銀板に景色がしばらくそのまま残っていることは知られていましたが、消えないようにする技術(定着法)は、まだ知られていませんでした。ダゲールはこれを実用化しようと、1826年頃から同じ画家で化学者のニセフォール・ニエプスに協力を求めて、銀板写真法の研究を開始しました。すでにニエプスは、風景を写しとめることに成功していました。アスファルトに光を当てると溶けるという方法で写真を撮るものでしたが、カメラのレンズを8時間もあけっぱなしにしなくてはならないため、実用化にはほど遠いものでした。

5年後にニエプスは亡くなり、ダゲールはひとりで研究を続けて5年後、ぐうぜん現像した写真を消えないようする方法を発見しました。薬品箱の上の銀板の画像が濃くなっているのに気づき、その原因をさぐってみると、水銀の作用だったことが判明したのです。そこで、うすい画像の銀板に水銀の蒸気を当てたところ、はっきりした画像があらわれて、いつまでたっても消えません。これが写真の定着法「ダゲレオタイプ」で、ダゲールは1839年にこの写真のやり方を科学院に発表しました。この日はパリじゅうで盛り上がり、交通整理に軍隊が出動したと伝えられています。政府にみとめられて、ダゲールは6000フランの年金がもらえるようになり、ニエプスとの約束を守ってそのむすこにも4000フランもらえるようにしました。

ダゲールは、今日のカメラの基となるダゲール型カメラを作り、1851年に亡くなりました。この型のカメラは、幕末の日本に何台も輸入され、肖像写真がたくさん残されるようになりました。


「11月18日にあった主なできごと」

1901年 八幡製鉄所操業…福岡県北九州市に建設された八幡製鉄所が操業を開始しました。近代化を推し進めていた明治政府が、殖産振興・富国強兵をもとにしたわが国初の本格的な製鉄所で、日露戦争、第1次世界大戦での鉄鋼需要の急増で、急速に発展しました。

1903年 パナマ運河条約…太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河は、スエズ運河をひらいたレセップスが開発に着手しましたが、難工事のため断念。アメリカ合衆国はパナマとの間でパナマ運河条約を結び、10年以上もかけて建設を進めて、1914年に開通させました。そのため長いあいだアメリカによる支配が続いてきましたが、1999年末、パナマに完全返還され、現在はパナマ運河庁が管理しています。

1904年 古賀政男誕生…『丘を越えて』『影を慕いて』『青い背広』など、日本人の心にふれるメロディで、今も口ずさまれているたくさんの歌謡曲を作った作曲家 古賀政男 が生まれました。

1928年 ミッキー・マウス誕生… ディズニー が制作したアニメ映画「蒸気船ウィリー」がこの日ニューヨークの劇場で上映されました。主役は、ディズニーが可愛がっていたネズミをモデルにしたミッキー・マウス。初めてのトーキー・アニメ映画だったこともあって大評判になりました。

投稿日:2010年11月18日(木) 07:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)