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西郷と入水した月照

今日11月16日は、幕末期に尊皇攘夷派の僧侶として活躍した月照(げっしょう)が、1858年に亡くなった日です。

1813年、大坂の町医者の長男として生まれた月照は、15歳のとき、叔父の蔵海が京都の清水寺の住職をしていたつてを頼り、清水寺・成就院に入りました。そして1835年、蔵海の跡をついで成就院の住職になり、同院の復興につとめました。

その頃、京都には勤皇の志士たちがたくさん集まっていて、月照は、そんな志士たちを寺にかくまうようになりました。1854年には住職を弟の信海に譲って、さらに尊皇攘夷に傾倒していくうち、志士たちの信頼をえ、京都の公家との関係を持ちました。やがて、志士たちの先鋒となり幕政を激しく批判していた梅田雲浜や頼三樹三郎らと深く交わり、勤皇攘夷の勅諚(ちょくじょう=天皇のみことのり)を水戸藩に下すことに成功しました。

ところが、徳川家定の将軍継嗣問題では水戸一橋派(後の15代将軍・徳川慶喜)を推したため、大老の 井伊直弼 から危険人物と見なされてしまいました。そして、1858年8月から始まった「安政の大獄」で追われる身となってしまいました。このとき、月照の保護を引き受けた 西郷隆盛 は、京都を脱出してを薩摩にかくまうために帰郷しました。しかし、この年7月、西郷のうしろだてだった薩摩藩主・島津斉彬 が急逝してしまいました。幕府を恐れた薩摩藩庁は、月照を保護することを拒否し、日向送りの追放処分を決定したのです。これは、薩摩国と日向国の国境で月照を斬りすてるというものでした。

1858年11月15日の夜、追放の船出となって、月照と同行した西郷や藩役人らを乗せた船が錦江湾沖にさしかかったとき、西郷は月照を抱いて海に身を投じたのです。月照を救えないことの責任を感じての行動でした。

翌朝未明、西郷と月照は漁師小屋で手当てを受けましたが、月照は帰らぬ人となり、西郷は息を吹き返しました。このとき西郷は30歳、月照45歳でした。
 
 
「11月16日にあった主なできごと」

1523年 インカ帝国皇帝捕えられる…15世紀から16世紀にかけてペルー南部に栄えたインカ帝国は、クスコを中心に石造建築や織物、金銀細工など優れた文明を築きましたが、この日スペインの ピサロ は、帝国のアタワルバ皇帝をだまして捕えました。翌年インカ帝国は滅亡、スペインは南アメリカ大陸のほとんどを長い年月支配することになりました。

1614年 高山右近 国外追放…織田信長、豊臣秀吉、徳川家康につかえた高山右近は、築城術もたけ茶道にも長じたキリシタン大名でしたが、禁止されたキリスト教を捨てなかったためにこの日国外追放、40日後にマニラで亡くなりました。

1653年 玉川上水完成…江戸幕府は急増する江戸市民の水を補うために、治水技術にすぐれていると評判の玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)に建設を命じ、玉川上水を完成させました。

1946年 「現代かなづかい」と「当用漢字表」…内閣は、これまでの「歴史的かなづかい」を現代の発音に近い「現代かなづかい」とする方針を発表しました(1986年に改正)。また「当用漢字表」1850字を告示し、日常生活に使う漢字を定めました。「当用漢字」は、1981年に範囲をよりゆるやかにした「常用漢字」1945字に改められ、2010年に「改定常用漢字表」2136字を答申しました。

投稿日:2010年11月16日(火) 07:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)