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日独伊三国同盟

今日9月27日は、日本・ドイツ・イタリア3国の間で「日独伊三国軍事同盟」が、1940年に締結された日です。この同盟により、日本はアジア、ドイツとイタリアがヨーロッパで主導権を持つことをお互いに認め、軍事的にも協力しあうことが取り決められました。

ポーランドへ侵攻した ヒトラー の率いるナチス・ドイツに対し、1939年9月にイギリスとフランスが宣戦布告して、第2次世界大戦が始まっていました。開戦後のドイツは、次々に周辺諸国を占領、1940年5月には北フランスに侵入を開始し、首都パリを陥落させたことでフランスを降伏させ、イタリアもドイツ側にたってイギリスに宣戦を布告しました。こうして圧倒的な戦力を誇るドイツは、イギリスを除くヨーロッパ全土を支配下におさめる勢いでした。

ナチス・ドイツは、早くから日本に三国同盟の話をもちかけていました。当時の日本は、すでに日中戦争で、ばく大な戦費を費やしていたのと、蒋介石政権を支援するアメリカと鋭く対立していました。ヨーロッパ戦線で快進撃を続けるドイツを見て、日本政府はドイツと手を結びアメリカを牽制しようと考えました。また、日本には、アジア太平洋地域のイギリス、フランス、オランダの植民地を支配することを、ドイツに了解させたいという意図もありました。

三国同盟の締結に対し、条約推進派から「条約反対三羽ガラス」と呼ばれていた 山本五十六、井上成美、米内光政を中心とする海軍は反発しましたが、「ナチスの勝利間違いなし」と軍事同盟の締結に熱心な陸軍や右翼の圧力に屈して、「バスに乗り遅れるな」というスローガンのもとに、条約締結を推進していきました。

こうして日本政府は外相松岡洋佑に命じて、日独伊軍事同盟をベルリンで調印しました。翌月には国家が一つになることを目的とした「大政翼賛会」という政党を組織して既成政党を解散・吸収し、現在の北朝鮮のような全体主義国家となって、東南アジア進出を推し進めました。この南進政策は、アメリカ、イギリス、オランダとの利害対立を深めることになり、対日石油輸出禁止などの措置をとったアメリカとの交渉がいきづまって、1941年12月にハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争を引き起こしていくのです。戦争はまさに全世界規模のものとなっていきました。

三国同盟は、1943年イタリアの降伏、1945年5月ドイツの降伏によって崩壊しました。


「9月27日にあった主なできごと」

1825年 蒸気機関車初の開業…イギリスの発明家 スチーブンソン が蒸気機関車を実用化してから11年後、ストックトン〜ダーリントン間19kmを走る世界初の鉄道が開通しました。蒸気機関車はその後数十年で世界中に広まり、産業革命に大きな貢献をしました。

1917年 ドガ死去…「舞台の踊り子」(エトワール)などたくさんの踊り子の絵を描いた画家 ドガ が亡くなりました。

1925年 日本初の地下鉄…地下鉄銀座線(浅草─渋谷)の起工式が行なわれました。世界で14番目、アジア・オセアニア地域では初めての地下鉄路線でした。

投稿日:2010年09月27日(月) 08:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)