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「じゃがたらお春」 と西川如見

今日9月24日は、江戸時代中期の天文・地理学者 西川如見(にしかわ じょけん)が、1724年に亡くなった日です。如見は、著書の『長崎夜話草』に、1639年に幕府はオランダ系混血児11名をジャガタラ(現・ジャカルタ)へ流したこと、その中のひとり14歳の「お春」のことなどを紹介しています。

如見は、1648年、長崎の生糸の鑑定を行なう地役人の家に生まれました。20歳をすぎてから学問を志し、儒学を京都の儒者である南部草寿に、天文暦算を小林義信に学びました。1695年に『華夷(かい)通商考』を出版し、長崎で見聞したことをもとにした世界の地理や風俗などを紹介しました。1697年には、家業を長男に譲って隠居し、天文暦算の研究に専念するようになり、1712年に『天文義論』を著しました。中国の天文学説を主として、ヨーロッパの天文学説を従と考えるところに特徴がありましたが、1717年には、徳川吉宗 に招かれて江戸におもむき、天文、地理の講義を行ったという記録が残っています。

さて、鎖国当時の長崎・出島は、日本のたったひとつの海外と接点のあるところでした。幕府は、オランダ人と中国人のほかは貿易を許さず、出島以外に住むことも禁じていました。如見はそんな長崎で暮らしていたため、めずらしい話を聞く機会が多かったのでしょう。それらを『長崎夜話草』に記しました。

その第1巻に、追放されたお春が、ジャガタラから日本行の船にたのんで手紙 「ジャガタラ文(ふみ)」をよこしたこと、それがあわれ深い内容なので書きとめておく、とあります。手紙は「千はやふる、神無月とよ」で始まり「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」と結ばれていました。お春の募る望郷の念を、少女とは思えぬ流麗な調子でしたためた名文として高く評価され、悲劇の少女として知られることとなりました。

なお、1939年にレコード発売され、今も歌われる歌謡曲「長崎物語」(じゃがたらお春)「♪赤い花なら まんじゅしゃげ……」は、この「じゃがたら文」を下敷きに作られたといわれています。


「9月24日にあった主なできごと」

1744年 石田梅岩死去…正直、倹約、堪忍という徳目をわかりやすく示し、町人の道を教える 「心学」 をはじめて説いた江戸時代中期の学者 石田梅岩 が亡くなりました。

1877年 西郷隆盛自刃…木戸孝允と大久保利通とともに倒幕・維新に尽力した「維新の三傑」の一人とうたわれた 西郷隆盛 は、士族(もと武士)たちの不満を解消させるために征韓論を主張しましたが、木戸、大久保らに反対されたため、明治政府の要職をすてて郷里鹿児島へかえりました。私塾を開いているうち、やがて下級士族たちにかつがれて8か月にわたる西南戦争をおこしました。西郷軍は政府軍と奮闘しましたが、最新式武装をした政府軍の力に及ばす、最期をさとった西郷は、たてこもった城山で、腹心に介錯を頼み自刃しました。

1965年 みどりの窓口開設…国鉄(いまのJR)は、コンピューターを使った指定券発売の窓口「みどりの窓口」を全国152の主要駅と日本交通公社(現・JTB)の83営業所に設置しました。これにより、長い時間待たされたり、ダブルブッキングがほとんど解消されました。

投稿日:2010年09月24日(金) 08:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)