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大財閥を築いた安田善次郎

今日9月28日は、一代で安田財閥を築き上げた実業家 安田善次郎が、1921年に暗殺された日です。

安田善次郎は1838年、越中(現・富山)藩の下級武士の子として生まれました。子どもの頃から、勤倹貯蓄の家風を身につけ、12歳のころには昼は野菜の行商をし、夜には 豊臣秀吉 の生涯をつづった伝記『太閤記』の写本をして過ごすほどの努力家でした。しかし、富山に来た大坂の町人を武士たちが丁重にむかえる姿を目にした善次郎は、武士が権威を失っていること、金力が世の中を動かすようになると考えるようになりました。

そして1858年、江戸に出ておもちゃ屋の奉公人、かつおぶし屋兼両替商に勤めながら金融のやり方を学びました。1863年に日本橋に両替商を開業、幕末の戦乱時にも営業を続けて巨利を得ました。1876年には国立銀行創立の出願者のひとりとなって明治政府に協力し、1880年に安田銀行(後の富士銀行、現みずほフィナンシャルグループ)を設立するに至りました。さらに損保会社(現・損害保険ジャパン)、生保会社(現・明治安田生命保険)を次々に設立して、安田財閥としての基礎を築きました。

やがて安田銀行をはじめ、第一・三井・三菱などの大銀行は、さまざまな分野の産業に手を広げ、政党と結んで利益をあげ、勢力を拡大するとともに、日本を支配する勢いでした。善次郎は、自分の天職を金融業と決めて、私的に事業を営むことを自ら戒めていました。しかし、南満州鉄道への参画や日銀の監事など、この時代の国家運営にも深く関わっていきました。

第1次世界大戦後の日本は、諸物価が上がり、国民生活は苦しくなるいっぽうでした。こうした状況のなか、天皇を中心とする強力な国家を造りあげるためには、実業家や政治家を葬り去らねばならない、という危険思想を掲げる者があらわれてきました。

1921年9月27日、神奈川県大磯町にある善次郎の別邸に、弁護士を名乗る男が訪れて、労働ホテル建設について談合したいと申し入れましたが、善次郎は面会を断りました。その翌日も、門前で4時間ほどねばって、ようやく面会が許された男は、いきなり隠し持っていた短刀で、善次郎を刺し殺したのです。犯人の神州義団団長を名乗る朝日平吾という男は、その場で所持していたカミソリで首を切って自殺しました。

なお、東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂などは、善次郎が寄贈したものです。また、「五十、六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」という言葉を遺したといわれています。


「9月28日にあった主なできごと」

1895年 パスツール死去…狂犬病ワクチンを初めて人体に接種するなど、近代細菌学の開祖といわれるフランスの細菌学者・化学者 パスツール が亡くなりました。

1970年 ナセル死去…スエズ運河の国有化、アスワン・ハイ・ダムの建設につとめ、第三世界(アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの発展途上国)の指導者として活躍したエジプトの ナセル が亡くなりました。

投稿日:2010年09月28日(火) 08:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)