児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  英国海軍の英雄・ネルソン

英国海軍の英雄・ネルソン

今日9月29日は、トラファルガル沖海戦で、フランス・スペイン連合艦隊をうちくだいたイギリス海軍の提督ネルソンが、1805年に戦死した日です。

ホレーショー・ネルソンは1758年、イギリスのノーフォーク地方に生まれ、わずか12歳で海軍にはいりました。各地の勤務でたたきあげ、20歳で大佐、25歳で艦長になりました。ネルソンは、1793年からは、おもにフランス軍と対戦して、目ざましいてがらをたてました。しかし、コルシカ島で戦っているとき右目を失明し、カナリア諸島での海戦では右腕を失ってしまいました。

そのころのヨーロッパは、全土にわたって戦争がくりひろげられていました。フランスの ナポレオン が、わがもの顔に各国を、馬のひずめでけちらしていた時代です。これにたいしてイギリスは、ロシア、オーストリア、スウェーデンなどと大同盟をむすび、フランスに立ちむかいました。フランスと連合するのは、スペインただ一国でした。強力な海軍を持つイギリスは、ナポレオンにとって難敵となっていました。

1805年8月に、イギリスに先手をとろうとフランス軍がドーバー海峡に集まってきました。ところが、ネルソンのひきいるイギリス海軍には、まったくすきがありません。ナポレオンは、正面からせめることができないため、たくみにネルソンをおびきだす作戦をたてました。手薄になったところをねらって、一気にイギリス本土へ上陸しようというのです。

ネルソンは、フランスの艦隊を発見して追跡しました。しかし、見当はずれの方向へ進む艦隊に、ネルソンはナポレオンの作戦をみやぶって、すぐひきかえしてしまいました。しばらくして今度は、ネルソンの方がフランス艦隊のゆだんしているところへ、おそいかかったのです。ネルソンのイギリス艦隊は、27隻。対するフランスは、スペインとの連合艦隊で、33隻もの戦艦をしたがえていました。不利な海戦でしたが、ネルソンのたくみな指揮で、大勝利におわりました。このトラファルガル沖の戦闘の中で、ネルソンは、先頭に立っていたために狙いうちされて、戦死してしまいました。

ネルソンのてがらにより、ナポレオンの全ヨーロッパ征圧の野望はうちやぶられました。イギリス海軍は世界じゅうにおそれられ、そののちも、イギリス本土に攻めこまれることはありませんでした。

なお、ネルソンの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブックで公開している「レディバード100点セット」
90巻目「ネルソン」の参考訳をご覧ください。


「9月29日にあった主なできごと」

1801年 本居宣長死去…35年かけて完成させた『古事記』注釈の集大成『古事記伝』44巻など、数多くの古代日本を探る研究書を著した江戸時代中期の国学者・本居宣長 が亡くなりました。

1837年 徳川慶喜誕生…大政奉還を行い、250年にもおよぶ江戸幕府の幕を閉じた15代将軍・徳川慶喜 が生まれました。

1872年 ガス灯の点灯…ガス灯が横浜の大江橋(桜木町駅近くの橋)から馬車道、本町通あたりに10数基設置されました。「あんどん」という油の中に灯心を入れたものしか見たことがなかった人々にとって、あまりの明るさに「あれはキリシタンの魔法だ」「近寄るな、すいこむと死んでしまうぞ」「外国人が横浜を火の海にする気だ」など大騒ぎしたと伝えられています。

1918年 原内閣成立…日本で初めての本格的な政党として 原敬 内閣が成立しました。初めて爵位をもたない平民宰相として人々の期待を集めましたが、普通選挙制に反対したり、大正デモクラシーを弾圧するなど国民の期待を裏切る結果になり、3年後に原は18歳の少年に暗殺されてしまいました。政党内閣はその後1932年の犬養内閣までつづきましたが、やがて軍閥・右翼勢力にとってかわられました。

1972年 日中共同声明の調印…田中角栄首相と中国周恩来首相は、北京で日中共同声明を発表し、日本と中国の国交正常化の調印を行ないました。この調印によって、両国間の国交が正常化され、1978年には日中平和友好条約が結ばれることになります。

投稿日:2010年09月29日(水) 07:22

 <  前の記事 大財閥を築いた安田善次郎  |  トップページ  |  次の記事 「陽明学」 の祖・王陽明  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2197

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)