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モンゴル建国の父 チンギス・ハン

今日8月18日は、遊牧民がつくった「史上最大の帝国」といわれるモンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハン(ハンは王の意)が、1227年亡くなったとされる日です。

12世紀のモンゴル高原は、大小さまざまな遊牧民が争いをくりかえしていました。チンギス・ハンの生年は、はっきりしていませんが、12世紀の半ばすぎ、外モンゴルのオノン川に近いモンゴル民族の名門氏族のテントの中でうぶ声をあげ、テムジンと名づけられました。

テムジンは、幼少のとき父親がタイチウト部族に毒殺されたため、貧苦のうちに成長、当時強勢を誇っていたケレイト部族に従ってしだいに勢力を蓄えたといわれています。そして1189年ごろ、モンゴル氏族連合の盟主に推されて、チンギス・ハンの称号を贈られました。

13世紀の初頭にこれらの抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を統一したのがチンギス・ハンです。それからのちのチンギス・ハンは、千戸制という軍事・行政制度をとりいれ、強力な軍隊を編成すると、華北(中国北部)の金へ侵入、中央アジアの西夏を滅ぼし、西アジアのホラズム朝などを次々に征服して広大な「モンゴル帝国」を築き上げました。

さらにチンギス・ハンの死後もその勢力をさらに拡大させ、次のハンとなったオゴタイは金を滅ぼし、カラコルムを首都にロシアを征服、ヨーロッパにまで進軍しました。オゴタイの死でヨーロッパの征服をまぬがれましたが、第4代ハンのモンケは、イランのアッバース朝、チベットなどを征服。第5代フビライは、1271年に首都を大都(北京)に移し、国号を「元」にして中国全土を支配し、朝鮮の高麗を属国にして、日本や東南アジアの支配までめざしましたが、これには失敗しました。

ユーラシアにおけるモンゴル帝国の支配は約100年でしたが、その影響は中央ユーラシアにおいて生き続け、チンギス・ハンの名は、偉大な英雄として賞賛され、とくにモンゴルでは国家創建の英雄として称えられています。

なお、チンギスハンの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブックで公開している「せかい伝記図書館」第3巻 「チンギス・ハン」 をご覧ください。


「8月18日にあった主なできごと」

1598年 豊臣秀吉死去…織田信長の後をついで天下統一を果たし、絢爛豪華な安土桃山時代を築いた武将 豊臣秀吉 が亡くなりました。

1850年 バルザック死去…「谷間の百合」や「ゴリオ爺さん」など、「人間喜劇」と名づけた作品群を遺したフランスの作家 バルザック が亡くなりました。

1864年 伊藤左千夫誕生…歌人として 正岡子規 に師事、写生の短歌を継承して斎藤茂吉らを育て、小説『野菊の墓』を著した伊藤左千夫が生まれました。(2009.8.18ブログ 参照)

1909年 ワシントンの桜…東京市(東京都)が、ワシントンへ桜の苗木を2000本贈ることに決定しました。苗木はポトマック河畔に植えられて、いまや桜の名所として有名です。

1930年 細君譲渡騒動…作家の 谷崎潤一郎 と、その妻千代子が離婚し、谷崎の友人の作家佐藤春夫が千代子と再婚するという細君譲渡騒動がおきました。このことを書いた挨拶状が関係者に送られたため、一大センセーションがまきおこりました。

1949年 フジヤマの飛び魚…ロサンゼルスで開かれた全米水上選手権大会に出場した古橋広之進は、1500mと400m自由形他で世界新記録を連発。アメリカの新聞は「フジヤマの飛び魚」とたたえ、敗戦でうち沈んでいた日本人を勇気づけました。

1966年 中国文化大革命…中国の首都北京で、中学生や大学生を中心とする紅衛兵100万人が文化大革命の勝利を祝う大集会を開きました。この文化大革命運動は、共産党内の反毛沢東分子や親ソ連派を「資本主義の復活をはかる実務派」として打倒、翌年4月の九全大会で、毛沢東、林彪路線を確定することになりました。

投稿日:2010年08月18日(水) 09:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)