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帝政ローマの父・オクタビアヌス

今日8月19日は、こころざし半ばにして暗殺された養父シーザーの後をついで内乱を勝ちぬき、200年もの「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)をきずいた大帝国・帝政ローマの初代皇帝となったオクタビアヌス(アウグスッス)が、紀元14年に亡くなった日です。

古代ローマ共和国の英雄といわれる シーザー が、BC44年に反対派のブルータスらに暗殺されると、ローマの町はたちまち乱れてしまいました。この混乱を救ったのが、シーザーの姪の子でシーザーの養子だったオクタビアヌスと、シーザーの武将だったアントニウス、レピズスの第2回三頭政治でした。(ちなみに第1回三頭政治は、シーザー・ポンペイウス・クラッススによるもの) 3人はシーザーの軍隊と元老院を味方につけて、ローマの国土を分割しておさめました。

レピズスはまもなく勢力を失い、オクタビアヌスとアントニウスの二人が国土を治めるようになりましたが、オクタビアヌスの妹と結婚していたアントニウスの離婚がきっかけになって、対立するようになりました。そして東方の統治にあたっていたアントニウスがエジプトの クレオパトラ と結んでローマの分断をはかろうとするのを知ったオクタビアヌスは、元老院をときふせて兵をだし、アントニウス・クレオパトラ軍と戦いました。これがBC31年のアクティウム(ギリシア西岸)の海戦です。オクタビアヌスは大勝して、翌年アントニウスとクレオパトラは自殺して、エジプト王国は滅亡しました。

BC29年ローマに凱旋したオクタビアヌスは、元老院から「アウグスッス」という称号を得ました。アウグスッスとは「高貴な」とか「立派な」という意味の言葉なので、オクタビアヌスがいかに尊敬されていたかがわかります。長い間の戦争にあけくれていたローマ市民は、平和を喜び、連日お祭りや行列にあけくれたということです。

アウグスッスは、元老院を解散し、最高指揮官・統領・護民官などを兼ねた元首となりました。こうして200年ものあいだ、大領土をすみずみまでしっかり統治して空前の繁栄をもたらした「帝政ローマ」が誕生したのです。


「8月19日にあった主なできごと」

1662年 パスカル死去…液体の圧力に関する「パスカルの法則」や、随想録「パンセ」の著書で有名な物理学者・哲学者 パスカル が亡くなりました。

1832年 ねずみ小僧の処刑…「ねずみ小僧次郎吉」といわれる大泥棒が、鈴が森刑場でさらし首の刑に処せられました。ねずみ小僧は15年間に、大名などの武家屋敷100か所から1万両もの大金を盗み、貧しい人たちに配ったという逸話が伝えられ、ねずみ小僧を主人公にした小説が、芥川龍之介、菊池寛、吉行淳之介らたくさんの作家に書かれています。

1929年 ツェッペリン号日本着陸…ドイツの飛行船「ツェッペリング伯号」が世界周航の途中、霞ヶ浦飛行場に到着。全長240mもの巨船に、日本中が大騒ぎになりました。飛行船の時代が来るかと思われましたが、可燃性や操縦の困難性を克服できず、次第にすたれていきました。

投稿日:2010年08月19日(木) 08:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)