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近代中国を象徴する袁世凱

今日8月20日は、中国の軍人・政治家で、中華民国初代大総統となった袁世凱(えん せいがい)が、1859年に誕生した日です。

アヘン戦争(1839-42)でイギリスに敗れてからおよそ100年にわたる中国の歴史は、無尽蔵ともいうべき鉱産物を餌食にしようとするヨーロッパ諸国や日本、封建的な特権を持ち続け外国資本と結ぼうとする役人支配の清朝(満州人の王朝)、漢民族による新政府を打ち立てようとする革命勢力、これらの3つの勢力がしのぎをけずる1世紀といっても過言ではありません。この時代を生きた中心的で象徴的人物が、袁世凱でした。

河南省の大地主の家に生まれた袁世凱は、清朝の役人になる試験に不合格になってしまいました。そのため軍隊に入って朝鮮におもむき、いくつかの功績をあげて、新陸軍を結成するなど重用されるようになりました。1898年、清皇帝(光緒帝)がめざした政治改革に参加するもこれを裏切って、反対派の西太后らの信任を得て山東省の地方長官に出世しました。

1899年、反キリスト教の立場にたつ義和団という秘密結社が、外国人や外国商品をボイコットする「義和団事件」が華北一帯でおこり、英・米・日・露など8か国が軍隊を送ってこの事件をおさえました(北清事件)。この時袁世凱は、外国人を保護する立場にたったのを評価されて、1901年死去した清朝の総理大臣格である直隷総督大臣だった李鴻章のあとをひきつぎました。しかし、清朝の重臣たちの反発にあって、1908年むなしく故郷の河南へ帰りました。

1911年秋、孫文 に率いられた漢民族の新政府をおこそうとする「辛亥革命」がおきると、総理大臣となり、軍隊の指揮権もみとめられて1912年、清の皇帝である宣統帝に退位をせまって、清王朝を滅亡させ、ひきかえに中華民国臨時大総統となりました。しかし、袁世凱が議会を無視する行動に出たために、各地の革命勢力が反発しました。武力でこれを鎮めて革命派を弾圧した袁世凱は、インフラ整備や軍備の充実などの面から国家の近代化をはかりました。

こうして1913年には正式に中華民国大総統に就任、独裁政治を断行しつづけました。1915年、第1次世界大戦のため列強が中国から撤退したすきをついて、日本が対中国に「21か条の要求」を袁世凱政府につきつけ、山東省、満州、内モンゴルなどに日本の利権を認めさせました。

やむなく日本の要求を受け入れた袁世凱でしたが、盛んな抗日の声をうまく利用して、たくみに人気をとりながら、1916年皇帝の位に就くことを決めました。しかしこれには、内外の反発を買って退位、まもなく失意のうちに亡くなったのでした。


「8月20日にあった主なできごと」

1241年 藤原定家死去…「小倉百人一首」の編さんや、万葉集、古今集と並び日本の3大和歌集の一つ「新古今和歌集」を編さんした鎌倉時代の歌人 藤原定家 が亡くなりました。

1839年 高杉晋作誕生…吉田松蔭 の松下村塾に学び、農民や町民を集めて奇兵隊を組織し倒幕に力をそそいだものの、明治維新を前に若くして病死した長州藩士 高杉晋作 が生まれました。

1926年 NHKの創立…1925年の春、東京、大阪、名古屋の放送局がラジオ放送をはじめていましたが、この3局がいっしょになって、日本放送協会(NHK)を創立させました。設立当時の聴取者は、わずか2万5000人でした。

1941年 詩集『智恵子抄』…彫刻家で詩人の 高村光太郎 は、精神病となり7年間病気とたたかって亡くなった妻智恵子を歌った詩集『智恵子抄』を刊行しました。智恵子は東京には空がないという/ほんとうの空が見たいという・・・ではじまる「あどけない話」や「レモン哀歌」など29編の詩や短歌は、今も多くの人たちに感動を与え、映画やテレビドラマにもよく登場します。詩の内容は、青空文庫 で読むことができます。

1988年 イラ・イラ戦争停戦…1980年ペルシャ湾岸地域を優位に支配しようとするイラクのフセイン大統領が、革命後の不安定なイランへ攻撃を開始して、イラン・イラク戦争が始まりました。一進一退のくりかえしだったため、国連の即時停戦の要請を受けて、停戦が実現しました。双方の犠牲者は100万人を超えるといわれています。

投稿日:2010年08月20日(金) 08:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)