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インドネシア建国の父・スカルノ

今日8月17日は、インドネシア独立運動の指導者スカルノが、1945年にオランダからの独立を宣言した日です。オランダはこの独立を認めず、その後4年間の戦争に突入しました。

インド洋と太平洋の間に、インドネシアがあります。スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスのほか、大小1万3000あまりの島が集まっている共和国です。しかし、1945年に第2次世界大戦が終わるまでは、オランダに支配された植民地でした。

1901年、その植民地時代にジャワ島のスラバヤで生まれたアハマッド・スカルノは、子どものころから、自分たちの独立国をもたない悲しさに心を痛めながら育ちました。そして1925年にバンドン工科大学を卒業すると、2年後にはインドネシア国民党をつくって、民族独立の戦いへ立ちあがりました。

ところが、たちまちオランダの役人ににらまれ、1929年に捕らえられたときは2年、1933年に捕らえられてからは9年もの間、牢や島に閉じ込められてしまいました。1939年に第2次世界大戦が始まったときも、捕らえられたままでした。

1942年、インドネシアを占領した日本軍の力で、スカルノは、やっと自由の身になりました。でも、こんどは、わがままな日本軍のいうことを聞きながら、戦争が終わるのを待たなければなりませんでした。

1945年8月に戦争が終わり、スカルノは、檻から出されたライオンのような勢いで、立ちあがりました。

「オランダも長い戦争でつかれている。いまだ」

このように叫んだと思うと、8月17日にはインドネシア独立を宣言し、新しい憲法を定めて大統領になったのです。

しかし、独立の声をあげてはみたものの、まだまだ平和はおとずれず、それからおよそ4年の間、もとの植民地にもどそうとするオランダと、戦わなければなりませんでした。

1949年にオランダは、ついにインドネシアの独立をみとめ、翌年インドネシア連邦共和国が誕生しました。ところが、スカルノ大統領には、これからさきが、さらに大変でした。

国土が数おおくの島に分かれているため、国民の心がひとつにまとまらず、各地で国民同志の争いが起こりました。民主主義の国をきずくため、国民の中からさまざまな代表を集めて話しあいの政治を進めていこうとしましたが、成功しませんでした。そのうえ、共産党の人たちとも手をむすんで政府をつくったことから、政府と軍人がにらみあうようになり、1967年、ついにスカルノ大統領は、陸軍司令官スハルト将軍に大統領の地位をゆずることになってしまいました。

スカルノは、1970年に69歳で亡くなりました。この建国の父の生涯には、心の休まるときはありませんでした。なお、タレントとして活躍中のデヴィ夫人(日本名・根本七保子)は、スカルノの第3夫人。


「8月17日にあった主なできごと」

1807年 蒸気船の試運転…アメリカの技術者で発明家の フルトン が、ハドソン川で蒸気船の試運転に成功した日です。

1949年 松川事件…東北本線の福島県松川市付近で、レールの釘がはずされていたため列車が転覆し、機関士ら3人が死亡する「松川事件」がおきました。この事件は、国鉄(JRの前身)の労働組合や共産党が仕組んだものとされ、労働組合員ら20人が逮捕されました。1963年に判決がおり、全員が無罪となりましたが、この事件をきっかけに政府の労働組合への取り締まりが強化され、日本の労働運動は急速に弱まっていきました。当時おきた下山事件、三鷹事件とともに「国鉄3大ミステリー」といわれています。

投稿日:2010年08月17日(火) 08:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)