児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  天竜川と金原明善

天竜川と金原明善

今日6月7日は、毎年のように洪水に悩まされ「鉄砲川」と恐れられていた天竜川の治水工事と植林に生涯をかけた金原明善(きんばら めいぜん)が、1832年に生まれた日です。

天竜川は、長野県の諏訪湖を水源に、木曽山脈と赤石山脈の間をほぼ真南に下って流れ、静岡県の遠州灘にそそぐ、急流で有名な川です。

現在の浜松市の地主の家に生まれた金原明善は、幼い頃から天竜川の洪水に悩まされてきました。特に1850年、明善が19歳の時に発生した洪水は、堤防を決壊させ、いっしゅんのうちに生家のあたり一帯を水浸しにし、田畑をどろ海にしました。これは、明善にとって一生忘れられない災害だったようです。

天竜川沿岸に住んでいる人たちが毎年のようにおきる洪水に頭を痛めていた時、明治維新をむかえました。新しく生まれた政府が、治水に力を入れる方針だということを耳にした明善は、すぐに京都へ上って天竜川の治水の必要なことを民生局へ訴えたところ、「天竜川堤防ご用がかり」に任命されました。

こうして役人になったものの、まもなく洪水がおこり、工事をするどころか壊れた堤防を治すことで手一杯となりました。なんとか堤防の修繕をすませた明善は、洪水の被害を根絶させるために「天竜川治水25か年計画」をたてました。そして1874年には、政府の力だけをあてにしない「天竜川治水協力社」を同志といっしょに設立して事業にかかりましたが、思うようにはかどりません。

そこで1877年、全財産を投げ出す覚悟を決めた明善は、内務卿 大久保利通 に訴えでようと上京しました。一介のいなか役人が、内務卿と謁見することは至難なことでしたが、明善の長年にわたる、誠実でいちずな奔走ぶりの話が大久保利通の耳に入っていたのでしょう。会談は実現しました。

こうして、大久保との約束通り、先祖代々の田畑や山林をはじめ家屋敷から、家具類にいたるまで売り払って、総額6万3500円を投げだして事業に打ちこみました。政府もこれに応えて、年額2万5000円を天竜川事業に出すことを決定しました。

1883年「天竜川治水協力社」は、流域の住民の利害争いが原因で幕を閉じました。でもこれ以降は、明善の計画を基にして国や県が天竜川の治水事業を引きついでいったのです。

それからの明善は、「良い森林を作ることが、多くの人々の生命と財産を守る」という信念のもとに植林事業に力をそそぎ、1923年、治水と森づくりに捧げた91年の生涯を静かに終えました。
 
 
「6月7日にあった主なできごと」

1848年 ゴーガン誕生…日本の浮世絵やセザンヌの影響をもとに印象派の絵画を描くも、西洋文化に幻滅して南太平洋のタヒチ島へ渡り『かぐわしき大地』『イヤ・オラナ・マリア』などの名画を描いたゴーガンが生まれました。(2008.2.22ブログ 参照)

1863年 奇兵隊の結成…長州(山口県)藩士の 高杉晋作 は、農民、町民などによる「奇兵隊」という軍隊を結成しました。奇兵隊は後に、長州藩による討幕運動の中心となりました。

投稿日:2010年06月07日(月) 09:19

 <  前の記事 秀吉と毛利の和議  |  トップページ  |  次の記事 成層圏の発見  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2070

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)