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『泣いた赤鬼』 の浜田広介

今日5月25日は、『椋鳥(むくどり)の夢』『竜の目の涙』『泣いた赤鬼』ほか人情あふれる多くの作品群が「ひろすけ童話」として親しまれている大正・昭和時代の童話作家 浜田広介が、1893年に生まれた日です。

山形県の農家に生まれた浜田広介は、早稲田大学英文科在学中に、「大阪朝日新聞」の懸賞おとぎばなしに、『黄金の稲束』が一等で入選。これがきっかけとなって、コドモ社の児童雑誌に童話を発表するようになりました。卒業後まもなくコドモ社に入社、雑誌の編集にたずさわりながら『花びらの旅』などを発表、ストーリー性よりも愛と善意など情緒性を重視したその作風に定評が得られるようになり、童話作家として一本立ちするまでになりました。

1921年に第一童話集『椋鳥の夢』を刊行以後、精力的に童話を発表し、小川未明とともに童話を文学の一ジャンルとして定着させました。1940年に日本文化協会児童文化賞、1942年に野間文芸奨励賞、1953年に文部大臣賞、1957年に産経児童出版文化賞を受賞しています。

代表作『泣いた赤鬼』の内容は、次の通りです。

赤おには、人間と仲よくくらしたいと考えますが、人間がこわがってだれも遊びにきません。すると、友だちの青おにがやってきて 「ぼくが村であばれるから、きみは、ぼくをなぐれ。そうすれば、人間はきみをほめて、遊びにきてくれる」 といいます。そして、そのとおりにすると成功しました。でも、友だちのことが心配になって青おにの家へ行ってみると、はり紙がありました。(ぼくがきみにあえば、人間はきみを疑うだろう。だからぼくは旅にでる…) と。赤おには涙を流しながら、2度も3度も、はり紙を読みかえしました……。

なお、この本を読んだ子どもたちの感想 (2006.4.12ブログ) を、ぜひご覧ください。


「5月25日にあった主なできごと」

1336年 楠正成死去…鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した河内の武将で、後醍醐天皇による「建武の新政」の立役者だった楠木正成 が亡くなりました。この日摂津国湊川(現在の神戸)で、九州から東上した足利尊氏の軍勢が、対立する楠正成・新田義貞軍と衝突(「湊川の戦い」)、尊氏軍が勝利して正成は自害しました。

1910年 大逆事件…信州の社会主義者・宮下太吉ら4名が明治天皇暗殺計画が発覚したとして、この日逮捕されました。この事件を口実に社会主義者、無政府主義者、思想家に対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、20数人を逮捕。この政府主導の弾圧は「大逆事件」と呼ばれ、幸徳秋水 ら12名が処刑されました。

投稿日:2010年05月25日(火) 09:19

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)