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油売りだった武将・斎藤道三

今日4月20日は、僧侶から油売りをへて、美濃の武将となった戦国大名の斉藤道三が、1556年に亡くなった日です。

美濃(岐阜県)稲葉山の城下に「一文銭の油売り」とよばれる若い商人が、人気を集めていました。

油を売るとき、客がさしだした壷の口に一文銭をあて、一文銭のまん中にあいている小さな穴を通して、油をそそいでみせます。少し高いところから油をそそいでも、一文銭の穴のまわりをぬらすことはありません。人びとは、このみごとな油そそぎのわざを楽しみに、われもわれもと油を買いにきました。

この男こそ、のちに美濃の支配者となった斎藤道三です。

道三というのは、美濃支配の望みを果たしてからの名です。幼いころの名は、峰丸といいました。

峰丸は、10歳をすぎたころ、わが子を出世させたい父の考えで、京都の寺にあずけられ、法蓮坊と名のりました。学問を身につけていく力は、おどろくほどだったということです。

ところが、修行なかばで美濃へまいもどってしまいました。たとえ僧でも家がらがよくなければ出世できないことに怒って、寺をとびだしたのだといわれています。油商人の娘とむすばれ、名を庄五郎と改めて油売りをはじめたのは、このときです。

しかし、まもなく、一文銭の油売りのみごとさを武士にほめられたことから、自分も武士をこころざし、27、8歳のころには油売りをやめて、武芸にはげむようになりました。そして、やりのけいこをはじめたと思うと、一文銭の穴にやりを突き通してみせるほどに上達して、またも人びとをおどろかせました。

やがて庄五郎は、美濃国を支配する守護大名土岐氏の家臣長井長弘にみとめられて、ついに、武士になりました。出世をのぞんでいた庄五郎の胸に、戦国大名への夢がもえはじめたのはとうぜんです。やりの名人とたたえられるようになった「一文銭の油売り」は、力で人を征服する武士の道を、まっしぐらに進んでいきました。

1542年、48歳のときに、とうとう、美濃国を手に入れてしまいました。西村勘九郎利政、長井新九郎利政、斎藤新九郎利政と名をかえながら、自分の出世のために、自分がつかえた主君をつぎつぎに討って、野望を果たしたのです。

稲葉山城の城主となると、頭をまるめて道三と名のり、こんどは身のまわりをかためるために、自分の娘を 織田信長 にとつがせました。でも、道三の運命も、これまででした。

最後の敵となったのは、しかも、わが子の義龍です。あとつぎ問題から親子で争い、長良川ふきんでの戦いに敗れて首をはねられてしまいました。いかにも戦国の武将らしい生涯でした。


「今日はこんな日」

郵政の日…1871年に日本でそれまでの飛脚制度に代わって、はじめて郵便制度がしかれたことを記念する日です。


「4月20日にあった主なできごと」

1141年 栄西誕生…鎌倉時代の僧で、禅宗の「臨済宗」を開いた 栄西 が生まれました。

1855年 犬養毅誕生…明治〜昭和の政治家で、政友会総裁となり首相に就任するも、五・一五事件で暗殺された 犬養毅 が生まれました。

1889年 ヒトラー誕生…「わが闘争」を著しドイツのナチス党をひきいた独裁者 ヒトラー が生まれました。

1901年 日本初の女子大学…この日「日本女子大学校」(現在の日本女子大学)がこの日開校しました。創立者は成瀬仁蔵で、古来の良妻賢母主義から、一人の人間としての人格形成を新しい女性像として掲げてスタート。制服のえび茶色のはかまが注目の的でした。

投稿日:2010年04月20日(火) 09:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)