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賤が岳の合戦

今日4月21日は、豊臣(羽柴)秀吉 が、信長亡きあと後継の最大のライバル柴田勝家と戦った「賤(しず)が岳の合戦」が、1583年にあった日です。

1582年、天下を治めるかにみえた 織田信長 は、京都本能寺で家臣明智光秀に討たれてしまいました。信長の後継をめぐる争いは、信長の長男の子秀信(当時3歳)を推す秀吉派と、三男の信孝を推す勝家派に分かれました。

勝家の本拠地は越前(福井)だったため、雪が深く冬に兵を動かすことができません。秀吉はそのすきに、岐阜にいる信孝を攻めて降参させました。

雪がとけるのを待った勝家は、3月に2万の兵を率いて近江に出て、秀吉の軍と相対しました。高台に立って勝家軍を見て、簡単には勝てないと判断した秀吉は、賤が岳に20余りの砦を築いて家来たちに守らせました。

そこへ、信孝が再度兵をあげたとの知らせを受けた秀吉は、岐阜にもどりました。そのすきに、勝家は、秀吉がこしらえさせた賤が岳の砦に攻めかかり、これを打ち破っていったのです。

この報せを受けた秀吉は、疾風のように賤が岳に引き返し、この地で激しい戦闘が開始されました。これが「賤が岳の合戦」です。

この時突然、勝家側についていたはずの信長の重臣の一人だった前田利家は、戦闘を放棄して加賀へ帰ってしまいました。秀吉に味方すれば義理を欠き、勝家に味方すれば家臣たちを迷わせると考えた末の利家の行動であったといわれています。

結果的に、利家が離脱したあと勝家軍は「賤が岳七本槍」(加藤清正・福島正則他)らの活躍により打ち破られ、勝敗は決します。こうして、信長の後継の武将のなかで、秀吉に対抗できるものがいなくなりました。

なお、信長の妹であるお市の方は、浅井長政と結婚して三人の娘(のちに長女・茶々は秀吉側室=淀殿に、次女・初=京極高次正室、三女 ・江=徳川秀忠正室・家光の母)をもうけますが、やがて長政が信長に滅ぼされたのち、柴田勝家の妻となっていました。この賤が岳の合戦でお市の方は、娘たち三人を脱出させ、勝家とともに死んでいきます。このあとの三姉妹の行動、特に茶々(淀君)の行動は、母お市の方の無念を晴らすためだったのではないかといわれるなど、お市と浅井三姉妹の波乱に満ちた生涯は、たくさんのドラマに描かれてきました。来年のNHK大河ドラマは、三女の「江(ごう)」に決定しています。


「4月21日にあった主なできごと」

1782年 フレーベル誕生…世界で初めて幼稚園をつくるなど、小学校就学前の子どもたちのための教育に一生を捧げたドイツの教育者 フレーベル が生まれました。

1910年 マークトウェーン死去…「トムソーヤの冒険」「ハックルベリーフィンの冒険」「王子とこじき」など、わんぱくな自然児と少年たちの冒険物語を著したアメリカの作家 マークトウェーン が亡くなりました。

1951年 民間放送の日…民間放送16社に予備免許がおりて、これまでNHKだけの放送から、さまざまな局の番組を選べるようになりました。放送はこの年の秋、ラジオからスタートしました。

投稿日:2010年04月21日(水) 09:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)