今日3月10日は、天智天皇(中大兄皇子) の4女である元明天皇が710年に、藤原京から奈良の平城京に都を移し、奈良時代がはじまった日です。
奈良時代は、「あおによし奈良の都は咲く花の匂うがごとく今さかりなり」と歌われたように、794年に桓武天皇が京都の平安京に遷都するまで、たいへん栄えました。
618年、隋に代わって中国を統一した唐は大帝国を築き、周辺諸地域に大きな影響をあたえていました。首都の長安は国際都市として繁栄し、日本をはじめ周辺諸国も唐と深く交わり、漢字・儒教・仏教などさまざまな文化を共有していました。
平城京は、そんな唐の都である長安をモデルにした立派な都で、北には皇居といえる平城宮から南に朱雀大路という幅70mもある大通りがまっすぐに5kmも走り、この大通りを軸に垂直に交わる縦横の道路があって、東西約6.3km、南北約4.7kmに及ぶ、碁盤の目のような整然とした街を造りました。現在の奈良市の5〜6倍もの広さで、人口20万人近くもあったといわれています。
ただし、こんな立派な都であったにもかかわらず、この時代の一般庶民の暮らしはかなりつらいものがありました。農民たちは、租・庸・調という重い税金にくるしんでいたばかりでなく、防人という北九州の警備にあたらされるなど軍役を課せられることもありました。
人々は、律令国家によって戸籍と計帳で良民と賎民にわけられ、賎民には自由がなく、賎民のうちでも奴婢は家畜と同じ扱いで、市場などで売買されるというひどいものでした。
いっぽう、たびたび遣唐使を唐に送って、大陸の文物を導入したり、全国に国分寺を建て、東大寺に大仏をこしらえるなど、仏教的な天平文化が栄えました。『古事記』『日本書紀』『万葉集』などの史書や文学が生まれたことも特筆できることです。
なお、平城宮跡は、東大寺(正倉院を含む)、興福寺、春日大社、薬師寺、唐招提寺などとともに世界遺産の文化遺産(奈良の文化財)として、1998年に登録されました。
「3月10日にあった主なできごと」
1945年 東京大空襲…第2次世界大戦の末期、東京はアメリカ軍により100回以上もの空襲を受けましたが、この日の空襲はもっとも大規模なものでした。2009.3.10ブログ「東京大空襲のあった日」を参照ください。