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間宮海峡を発見した間宮林蔵

今日2月26日は、北海道の北にある樺太(からふと・ロシア語で「サハリン」)が大陸とはつながっていない島であることを発見した間宮林蔵が、1844年に亡くなった日です。

樺太が日本人に知られたのは、16世紀以降だと伝えられています。初めは松前藩の領地でしたが、のちに江戸幕府の直轄領となりました。そして、1855年の「日露和親条約」では国境を設けず、両国民の混住の地とすると決められました。その後1875年には千島との交換で日本は樺太を放棄、さらに日露戦争後の「ポーツマス条約」で、樺太の北緯50度線以南(南樺太)は日本領となり、第2次世界大戦後は実質的にソ連(現ロシア)領となっています。しかし、ソ連がサンフランシスコ講和条約に調印していないため、日本政府は南樺太を所属未定地であるとしています。

間宮林蔵が樺太を探検したのは、幕府直轄領の時代です。ロシアの侵入から日本の北辺を守ろうとする幕府の命を受けて、林蔵は、この未開の地をさぐったうえに海を越えて中国大陸へ渡り、大陸とのあいだにある海峡を発見、樺太が島であることを証明しました。

この海峡はのちにシーボルトによって「間宮海峡」と命名され、この名を地球上に永遠に残したのです。

1775年、常陸(ひたち・現在の茨城県)の農家生まれの間宮林蔵が、どのようにして幕府の役人となり、伊能忠敬らに測量術を学んで、樺太探険の末に歴史的快挙をなしとげたのか、林蔵の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第29巻「間宮林蔵」をぜひご覧ください。


「2月26日にあった主なできごと」

1609年 琉球征伐…薩摩藩の藩主島津家久は、この日大軍を率いて琉球王国に攻め入り、4月までに征伐しました。当時琉球王国は、中国や東南アジアと日本を結ぶ中継貿易で栄えていましたが、これを薩摩藩が独占することになりました。

1802年 ユゴー誕生…フランス文学史上屈指の名作といわれる『レ・ミゼラブル』を著わした作家の ユゴー が生まれました。

1815年 ナポレオンがエルバ島脱出…ヨーロッパ同盟軍に破れ、エルバ島に流されていた ナポレオン は、この日の夜7隻の船に大砲を積みこんで島を脱出、皇帝に返り咲きました。しかし「100日天下」に終わり、セントヘレナ島に幽閉され、その地で亡くなりました。

1936年 2・26事件勃発…陸軍将校ら1400人が首相官邸などを襲撃する事件が起きました。詳細につきましては、2008年2月26日ブログ を参照ください。

投稿日:2010年02月26日(金) 09:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)