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社会派ミステリーの松本清張

今日12月21日は、『点と線』『ゼロの焦点』など、社会派推理小説というジャンルを拓いた松本清張が、1909年に生まれた日です。今年は清張生誕100年にあたるため、さまざまなイベントが行なわれ、映画やドラマ化された作品のテレビ放映が多くみられます。

清張は、現在「清張記念館」のある福岡県の小倉生まれといわれますが、本人は広島市生まれ、幼児期から児童期は下関で育ち、小倉に定住したのは10〜11歳ころと語っています。

二人の姉は幼くして亡くなったため一人っ子として育ちましたが、生家が貧しかったために高等小学校を卒業すると、電気会社の給仕をした後、印刷屋の石版工をへて、30歳のとき朝日新聞西部本社広告部に勤務しました。

1950年、41歳の時、勤務中に書いた処女作『西郷札』が「週刊朝日」の懸賞小説に入選し、1952年には『或る「小倉日記」伝』で、芥川賞を受賞しました。東京本社に転勤後、作家活動に専念するようになりました。

そして、1958年に発表した推理小説『点と線』は、犯罪の動機を重視し社会性を導入した「社会派推理小説」とよばれ、空前のベストセラーとなりました。続いて発表された『眼の壁』もベストセラーになったほか、『ゼロの焦点』『砂の器』など「清張ブーム」を引き起こし、推理小説を大衆に開放することに成功しました。

一方、現実の世界にも目を向け『日本の黒い霧』などのノンフィクションを著したり、『古代史疑』『昭和史発掘』など古代史や現代史へと創作の領域を広げ、82歳で亡くなるまで、驚異的な努力で独自の世界を構築していきました。その作品は長編、短編をあわせて1000編を越えるといわれます。

私の清張作品との出合いは、まだ20代だったころで、『張込み』に始まり、『点と線』『砂の器』『波の塔』『霧の旗』『ゼロの焦点』『黒い樹海』など、カッパブックスになっていたシリーズを片端から読んだ記憶があります。また、3年ほど前の正月休みに読んだ長編 『熱い絹』 の読後感は、本ブログに掲載していますので参考にしてください。

 

「12月21日にあった主なできごと」

934年 土佐日記…かな文字による日記のさきがけといわれる『土佐日記』は、『古今和歌集』の選者としても名高い歌人 紀貫之(きのつらゆき)が、土佐国守の任務を終えたこの日から、55日かけて京都にもどるまでの船旅の様子を記した、女性が書いたようにみせかけた文学史上重要な作品です。

1336年 南北朝時代…京都に室町幕府を開いた 足利尊氏 と対立し、京都の花山院にとじこめられていた 後醍醐天皇 は、ひそかに抜け出して吉野に新たな朝廷(南朝)を開きました。こうして、2つの朝廷に分かれて争う「南北朝時代」がはじまりました。

1854年 日露和親条約…日本とロシアの間で日露和親条約が、下田で結ばれました。この年の3月に結んだ日米和親条約に続く2番目の条約で、択捉島とウルップ島との間が国境に確定しました。したがって、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島は日本の領土となっています。この条約により、下田、長崎、箱館(函館)が開港されました。

投稿日:2009年12月21日(月) 09:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)