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張作霖爆殺事件

今日6月4日は、満州軍閥の張作霖(ちょうさくりん)が日本の関東軍によって暗殺される事件が、1928年におこった日です。

満州軍閥の頭だった張作霖は、日露戦争で日本に協力したことから、日本の関東軍に支援されて力をのばしてきました。日本政府や関東軍は、この張作霖を利用して満州を中国本土から分離して、実質的に支配しようともくろんでいました。

ところが張作霖は、そんな日本のねらいを無視して1927年には北京に進出、大元帥となって北京政府をこしらえ、反日的な政策を展開しはじめました。さらに、蒋介石(しょうかいせき)の指導する南京国民政府と衝突するようになりました。

そんな折、張作霖が国民政府軍と戦って敗れ、北京から満州に逃げてくるという情報が、関東軍に入りました。もはや張作霖には利用価値がないと見た関東軍は、奉天郊外で、列車もろとも爆破して、張作霖を殺したのです。

田中義一内閣は、この事件は国民政府軍のしわざと発表しましたが、調査が進むにつれて、首謀者は関東軍参謀の河本大作ということがはっきりしてきました。何人かの中国人に機密費を渡し、2人のアヘン中毒者が列車爆破させたように装った経緯がわかってきたのです。この事件処理をめぐって昭和天皇から注意を受けた田中義一内閣は、翌年7月に総辞職に追いこまれました。

この事件により、日本は国際的な批判をあびました。張作霖の後をうけついだ息子の張学良は、国民政府と和解して合流するなど、日本に敵対的な行動を取るようになりました。また、南満州鉄道(日露戦争後の1906年に日本が設立した会社)のすぐそばに新しい鉄道路線を建設するなど、安い輸送単価で南満州鉄道と経営競争をしかけました。これに危機感をいだいた関東軍は、満州を軍事的に占領する計画をねりはじめました。

そして、事件から3年後の1931年9月、関東軍は南満州鉄道の線路を爆破した柳条湖事件をおこして、満州全土を占領(満州事変)、中国との15年戦争に突入していったのです。

 

 「6月4日にあった主なできごと」

822年 最澄死去…平安時代の初期に、天台宗をひらいた僧 最澄(さいちょう)が、亡くなりました。( 2008年6月4日ブログ 参照)
 
1989年 六四天安門事件…言論の自由化を推進し「開明的指導者」として国民の支持を集めた胡耀邦(こようほう)の死がきっかけとなって、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対して、「中国人民解放軍」は戦車、装甲車を出動させ無差別発砲を行なって武力弾圧。中国共産党の発表は、死者は319人としていますが、数百人から数万人の多数におよんだようです。

投稿日:2009年06月04日(木) 09:47

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)