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座禅と茶の栽培を伝えた栄西

今日6月5日は、鎌倉時代の初期、禅宗の日本臨済宗をひらいた僧・栄西(えいさい「ようさい」ともいいます)が、1215年に亡くなった日です。栄西は、茶の習慣を日本に伝え、茶の湯のもとをきずいたことでも知られています。

座禅によってさとりを開こうとする、仏教のひとつの流れを、禅宗といいます。栄西は、曹洞宗をひらいた道元とともに、この禅宗を日本でおこした、鎌倉時代の僧です。

1141年に備中国(岡山県)で生まれた栄西は、14歳のころ比叡山にのぼって、最澄が伝えた天台宗の教えを学び始めました。

しかし、仏教の本をどんなに読んでも満足できませんでした。そのうえ、日本の仏教全体にさえ疑問をもつようになり、27歳のときには半年、46歳のときには4年、2度も中国(宋)へわたって天台山へのぼり、臨済宗(禅宗のひとつの派)を学びました。

宋から帰国した栄西は、まず九州へくだって禅の教えを広めました。ところが、比叡山の僧が朝廷を味方にひき入れて、禅宗が広まるのを妨害するようになりました。

栄西は『興禅護国論』を書き、禅こそ国を守る宗教だと説いて反論しました。そして、鎌倉へ行って幕府に臨済宗の教えを伝え、鎌倉に寿福寺を建てたのち、京都へのりだしました。幕府が禅宗の教えに心を動かし、栄西の活動をうしろから応援するようになったのです。

そののちの栄西は、京都六波羅に、僧が修行する道場として建仁寺を建て、若い僧の教育と、臨済宗を広めることに力をつくして、1215年に寿福寺で亡くなりました。74歳でした。

栄西のもうひとつの業績は、1211年に『喫茶養生記』を著し、お茶を日本に広めたことです。この本は、上下二巻からなり、茶の効用からどんなところが茶の栽培に適しているか、製法にいたるまで、細かく記されています。中国での生活の中で、茶の効力を認め、その不眠覚醒作用が禅の修行に必要だと考えたからにちがいありません。


「6月5日にあった主なできごと」

1864年 池田屋騒動…京都三条木屋町の旅館・池田屋に、京都の治安組織で近藤勇の率いる新撰組が、公武合体派の守護職松平容保(会津藩主)らの暗殺を計画していた長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派の志士を襲撃、およそ2時間にわたり斬り合い、志士数名を殺害、20余名を捕らえました。

1882年 柔道道場… 嘉納治五郎 は、東京下谷の永昌寺に柔道の道場(のちの講道館)を開きました。

投稿日:2009年06月05日(金) 07:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)