今日6月8日は、キリスト教、仏教とともに世界3大宗教のひとつとされるイスラム教の開祖ムハンマド(マホメット)が、632年に亡くなった日です。ムハンマドは、マホメットと呼ばれていましたが、最近では標準アラビア語の発音に近い「ムハンマド」と表記される傾向があるようです。
イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教と同じように、唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじて信徒同士の一体感を重んじるところに大きな特色があります。
10億人以上もの信徒(ムスリム)があると推定されていて、世界で2番目に多くの信者を持つ宗教です。ムスリムが居住する地域はほとんど世界じゅうに広がっていて、とくに西アジア・中東諸国では国民の大多数がムスリムです。
ムハンマドは、571年ごろ、アラビア半島中西部の中心都市メッカの町で生まれました。父親はムハンマドの誕生する数か月前に死に、母も幼い頃に亡くなったため、ムハンマドは祖父と伯父のもとで育てられました。
少年のころから隊商に加わり、成長後も一族の者たちと同じように商人となり、25歳の頃に、15歳年上の妻とと結婚し2男4女をもうけましたが、男子は2人とも成人を待たずに死んでしまいました。
610年の頃、悩みを抱いてメッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想にふけっていたムハンマドは、そこで大天使に出会い、唯一神(アラー)の啓示を受けたとされています。その後も啓示は次々とムハンマドに下され、預言者としての自覚に目覚めたムハンマドは、近親の人たちに啓示の教えを説きはじめ、やがて、公然とメッカの人々に教えを説きました。しかしメッカが、アラビア人伝統の多神教の聖地でもあったため、メッカの支配者たちは、ムハンマドの教えに従う者がふえるのは面白くありません。
そんな折、メッカより300キロほど北にある町ヤスリブの信徒からムハンマドへ、なんども秘密のさそいがかかりました。ムハンマドはヤスリブ移住することを決意して、70人の信徒を何人かにわけて先に行かせました。そして、622年、ムハンマドがメッカを離れようとしたとき、秘密の計画がもれて、ヤスリブに通じる道は、すべてふさがれてしまったのです。さらに、メッカは刺客を放ってムハンマドの暗殺を試みましたが、ムハンマドらは10日ほどかけてヤスリブに無事にたどり着きました。のちにこの年は、イスラム暦元年と定められています。
ムハンマドは、その後も多くの苦難の末に政治力と軍事力をととのえ、メッカをイスラムの聖地と定め、異教徒を追放し、アラビア半島をイスラムによって統一しました。そして、632年、メッカへの大巡礼をおこない、五つの行(信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)を定めると、自分の死後もコーラン(死後にまとめられたイスラム教の聖典)に従うようにという遺言をのこして亡くなりました。
「ムハンマド」の詳しい生涯につきましては、いずみ書房ホームページで公開中のオンラインブック「せかい伝記図書館」3巻「マホメット」をご覧ください。
「6月8日にあった主なできごと」
1947年 日教組結成…奈良県橿原市で日本教職員組合(日教組)の結成大会が開かれました。戦後教育の民主化、教育活動の自由、教育者の社会的・経済的・政治的地位の向上をめざすとし、教師は、聖職者から教育労働者へと大きく転換していくキッカケとなりました。