今日5月26日は、1933年のこの日、国が京都帝国大学の滝川(たきがわ)教授の休職を、一方的に下す思想弾圧事件がおきた日です。滝川事件は京大事件とも呼ばれます。
この事件は、前年に、他の大学で行なわれた京都帝国大学(京大)滝川幸辰法学部教授の講演内容に、無政府主義的な傾向があると、政府に目をつけられたのがきっかけでした。
そして、1933年4月、内務省は教授の著書『刑法講義』『刑法読本』が共産主義的だとして、発売禁止処分を下しました。さらに5月には、斎藤内閣の鳩山一郎文相は、小西京大総長に滝川教授の罷免を要求。これに対して、大学の自治と学問の自由を守ることが重要として、法学部教授会および京大総長は、文相の要求を拒絶しました。ところが、5月26日、文部省は滝川教授の休職処分を決定し、強行したのです。
これにふんがいした京大法学部は教授ら全教官39名が辞表を提出しましたが、大学当局および他学部は法学部教授会の立場を支持せず、小西総長は辞職に追いこまれました。法学部の学生たちは教授会を支持し、全員が退学届けを提出するなど処分に抗議する運動を起こし、他学部の学生もこれに続きました。
さらに東京帝大など他大学の学生、数多くの文化人、『中央公論』『改造』などの総合雑誌、『大阪朝日』などの新聞も京大を支援し、文部省を批判する論説を多く掲載しました。しかし、政府による弾圧もあって急速に終息。学園には自由のない、形骸化した学問の府となり、一気にファッシズムの嵐に巻きこまれていきました。
「5月26日にあった主なできごと」
1180年 以仁王・源頼政の死…保元の乱、平治の乱を経て 平清盛 が台頭、平氏政権が形成されたことに対し、後白河天皇の皇子以仁王(もちひとおう)と源頼政が打倒平氏のための挙兵を計画。これが露見して追討を受け、宇治平等院の戦いで敗死しました。しかしこれを契機に諸国の反平氏勢力が兵を挙げ、治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)が6年間にわたって続き、鎌倉幕府誕生の前哨戦となりました。
1467年 応仁の乱本格化…日本最大の戦乱といわれる応仁の乱(1467-77)の主な原因は、8代将軍 足利義政 に仕える管領の細川勝元と山名持豊らの有力守護大名の対立。この日、両勢力が本格的な戦闘に入り、戦国時代に突入するきっかけとなりました。
1877年 木戸孝允死去…西郷隆盛、大久保利通と並ぶ「維新の三傑」の一人で、明治新政府でも活躍した木戸孝允(きどたかよし)が亡くなりました。( 2009年5月26日ブログ 参照)