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明治維新の立役者・木戸孝允

今日5月26日は、幕末から明治にかけた波乱の時代に生き、西郷隆盛・大久保利通とともに、明治維新の大功労者のひとりとして活躍した木戸孝允(きど たかよし) が、1877年に亡くなった日です。

長州藩(山口県) の藩士だった孝允は、薩摩藩(鹿児島県) の西郷隆盛や大久保利通とならんで 「維新の3傑」 といわれています。高杉晋作なきあとの長州藩の軍隊をひきいた孝允が、西郷や大久保たちの薩摩藩と力をあわせ、江戸幕府から政権をとりもどす大事業をなしとげたからです。

1833年、孝允は藩医の長男に生まれましたが、7歳で桂家の養子になったため、若いころの孝允は桂小五郎の名で知られています。早くから秀才とうたわれましたが、はじめてほんとうの学問を知り、武士としてどのように生きるべきかを教えられたのは、16歳のとき吉田松陰の松下村塾に学んでからだといわれています。松蔭は、いま日本の若者が何をしたらよいかを、諸外国の実情を話しながら講義しました。その年月はそれほど長くはありませんでしたが、強い影響をうけました。

19歳で江戸(東京) に出た孝允は、江戸一流といわれた斉藤弥九郎の道場で剣の修行にはげみ、たちまち 「斉藤道場の小てんぐ」 とはやされるほど上達しました。また孝允は、江川太郎左衛門に西洋の砲術をまなび、海岸のまもりをかためる方法をしらべるなどの努力もおしみませんでした。

1859年 「安政の大獄」 で恩師の吉田松陰が死罪になると、孝允は、尊皇攘夷に考えをかため、幕府を早くたおさないと、日本は外国の食いものになると説いたのです。そして、この運動をおしすすめるためには、他の藩の同志と手をにぎらねばならないと考えました。京都に出た孝允は、長州藩を中心に幕府をうちたおす計画をすすめました。そのあいだにも、幕府の役人や新撰組にねらわれるなど危険な毎日でした。

しかし、1866年土佐(高知県) の浪人坂本龍馬のなかだちで孝允と西郷隆盛があい、敵対していた長州と薩摩の両藩が手をにぎる密約ができました。これをきっかけに討幕運動はいっきょに高まり、まもなく江戸幕府は倒れて明治維新をむかえました。

明治の新政府ができると、孝允は長州の代表として政府の指導者になりました。孝允は、藩主毛利敬親を説得して、土地と人民を朝廷にさしださせて版籍奉還を実行しました。そして廃藩置県に努力するなど近代国家としての新しい政治のしくみをつくりました。岩倉具視の副使節として欧米視察の旅からかえると、西郷の征韓論に反対し、また大久保の台湾出兵にも反対して政府の役人をやめました。のちに復帰して、立法、行政、司法の三権分立を確立させましたが、1877年西南戦争のさいちゅうに西郷の身を案じながら病死しました。

なおこの文は、いずみ書房 「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 31巻 「福沢諭吉・坂本龍馬・西郷隆盛」 の後半に収録されている7名の 「小伝」 から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年05月26日(月) 09:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)