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維新の立役者・大久保利通

今日5月14日は、明治維新をおしすすめた西郷隆盛、木戸孝允とともに「維新の三傑」とよばれ、明治新政府の土台をささえた最大の指導者大久保利通(おおくぼ としみち)が、1878年に暗殺された日です。

1830年、利通は薩摩藩(鹿児島県)の下級武士の家に生まれ、西郷隆盛 とは同じ町内にすむ幼なじみでした。少年時代から利通は、冷静にものごとを判断する性格で、武芸よりも文才にぬきんでたものがありました。しかし、20歳のころ、父が藩の世つぎをめぐる争いにまきこまれて島流しにあい、利通は一家の中心になって家計のきりもりをしなければなりませんでした。利通のねばり強さは、この時代にきたえられたといわれています。

幕末のころの薩摩藩は、藩主島津忠義の父久光が実権をにぎっていました。利通は、この久光に近づいて重く用いられるようになり、しだいに藩政に参加できるようになりました。利通の考えは、はじめのうちは朝廷と幕府が力をあわせて政治をおこなう公武合体論というものでしたが、しだいに幕府を倒して、天皇を中心にした新しい政府を作るという意見に変わりました。

やがて、西郷とともに薩摩の指導者となった利通は、討幕の方針をとるように藩の意見を変えさせ、1866年には 坂本龍馬 のあっせんにより、長州藩と手をにぎりました。さらに翌年には、討幕派の岩倉具視とひそかに通じて、王政復古の計画を綿密にたてるなど、激動する幕末の政局に終始指導的な役割をはたしていきました。

幕府がたおれて明治政府ができると、利通は西郷、木戸孝允 らと協議しながら、藩の領地や人民を天皇に返させる「版籍奉還」、藩そのものをなくして府県制度にする「廃藩置県」、士農工商の身分制度をやめるなど、数かずの政策を実行しました。

利通は1871年、岩倉、木戸、伊藤博文 らと欧米視察の旅に出ました。この旅行で、諸外国の進歩した政治や経済のしくみをみた利通は、まず国内を整備して日本の力をたくわえることが大切であることを痛感しました。そのため、「征韓論」をとなえて朝鮮に軍隊をおくろうと主張する西郷らと対立しました。西郷は征韓論にやぶれて政府を去り、利通は政府の独裁的指導者になっていきました。

産業の近代化をはかる「殖産興業」と「富国強兵」を旗じるしに、利通は信念をもって、近代国家への足がためを進めました。しかし、利通の専制的なやり方に不満を持つ者もおおく、1878年のこの日、不平士族に暗殺されてしまったのです。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)31巻「福沢諭吉・坂本龍馬・板垣退助」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「大久保利通」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、2月末より300余名の「小伝」を公開しています。


「5月14日にあった主なできごと」

1221年 承久(じょうきゅう)の乱…後鳥羽上皇はこの日、京都近隣の武士1万7千人を集め、鎌倉幕府執権の北条義時追討の命令を出しました。幕府軍は19万の軍勢でこれをむかえ討ち、敗って、上皇を隠岐島へ流しました。鎌倉幕府成立後、京都の公家政権との二頭政治が続いていましたが、この乱以降は幕府が優勢となり、皇位継承にまで影響力を持つようになりました。

1796年 ジェンナーの種痘…イギリスの外科医ジェンナーは、牛痘にかかった人の膿を少年に接種 (種痘) し、天然痘という伝染病を根絶させるキッカケとしました。そのため、5月14日は「種痘記念日」に制定されています。( 2008年5月14日ブログ 参照)

1839年 蛮社の獄…この日、江戸幕府目付の鳥居耀蔵は、田原藩士 渡辺崋山高野長英 らを逮捕しました。蛮社とは、洋学者を中心に町医者・藩士・幕臣等有志の者が海防目的で蘭学や内外の情勢を研究していた尚歯会(しょうしかい)を「野蛮な結社」と国学者たちがさげすんだことによります。崋山や長英らは、浦賀沖へ来航したアメリカ船モリソン号に砲撃を加えたことを非難。これへの反感からの逮捕でした。

1948年 イスラエル建国…イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しようという、ヨーロッパを中心におこった「シオニズム運動」の結果、紀元前のイスラエル王国にちなんだユダヤ人の国家イスラエルを、この日に建国しました。これに怒ったレバノン、シリア、ヨルダン、イラク、エジプトのアラブ連盟5か国は戦争を宣言、9か月にわたるパレチスナ戦争(第1次)がはじまりました。この戦争で、パレスチナを追われた100万人ものアラブ人は難民となり、いまだに「アラブ─イスラエル」対立の構図はなくなりません。

投稿日:2009年05月14日(木) 09:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)