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「オズの魔法使い」 のバウム

今日5月15日は、「オズの魔法使い」をはじめとする「オズ」シリーズの作者として有名なアメリカの児童文学作家バウムが、1856年に生まれた日です。

ファンタジックな60編以上の童話、児童文学作品を残したライマン・フランク・バウムは、アメリカのニューヨーク州の小さな村に、9人兄弟の7番目として生まれました。

父が油田で財を築いた人だったため、バウムは裕福な環境で育ちましたが、12歳で士官学校に入れられてしまいました。病弱だったために、両親は彼を鍛え上げようと意図したようです。しかし、バウムは、2年間の不本意な生活の後、退学してしまいました。

バウムは、小学生の頃から創作や雑誌づくりに興味があり、17歳で「切手収集家」という雑誌を創刊、20歳のころには養鶏の専門誌を出版したほどでした。次にバウムが傾倒したのは、演劇でした。興行的な失敗によって幾度となく破産寸前に陥りましたが、24歳のとき、父は彼のためにリッチバーグに劇場を建ててくれ、バウムは脚本家の地位につきました。そして、2年後に結婚しましたが、劇場の火事にあい、建物のみならず脚本の多くも焼失してしまいました。しかたなく、バウムは妻と「バウム市場」という店を開きましたがうまくゆかず、店は結果的に破産。バウムは地元の新聞記者となりました。ところが、この新聞社もまもなく倒産、バウムは妻と4人の息子と共にシカゴに移り、新聞記者の仕事を見つけましたが、セールスマンとしても働かなくてはならなりませんでした。

1897年、バウムは「マザー・グース物語」という、マザー・グースの韻文を、散文の小説にした短編集を刊行しました。そこそこの成功を修め、セールスマンをやめることが可能になりました。それから2年後、1899年に発表したナンセンス詩集「ファーザー・グース」は、その年の児童書のベストセラーとなりました。そして1900年、バウムは代表作「オズの魔法使い」を刊行しました。

この作品は、[アメリカ・カンザス州に暮らす少女ドロシーは、竜巻に家ごと吹き飛ばされて、飼い犬のトートーといっしょに、不思議な「オズの国」へつきます。途中で脳の無いカカシ・心の無いブリキの木こり・臆病なライオンと出会い、それぞれの願いを叶えてもらうため「エメラルドの都」にいるという大魔法使いの「オズ」に会いに行く…] という、いかにもアメリカ的なファンタジーで、作品は、批評家からも絶賛を浴び、商業的にも大成功を修めました。

2年間にもわたり、児童書のベストセラーの地位に君臨し続けたばかりか、オズシリーズは、「オズの虹の国」「オズのオズマ姫」 「オズと不思議な地下の国」「オズへつづく道」 「オズのエメラルドの都」など、続編を13作も書くことになりました。シリーズのいくつかは、ミュージカルや演劇となって、今でもアメリカの子どもたちばかりでなく、世界の子どもたちを魅了しています。

なお、いずみ書房のオンラインブック「レディバードブックス100点セット」では、「オズの魔法使い」 を収録していますので、ぜひ目を通してみてください。


「5月15日にあった主なできごと」

1932年 5・15事件…海軍の若い将校や右翼の若者たちが、政党や財閥をたおし、軍を中心にした国家権力の強い国をうちたてることをくわだて、首相官邸や警視庁などを襲撃、犬養毅 首相を射殺する事件が起こりました。この惨劇により、14年間続いた政党内閣は断絶し、わが国はファッシズムへの道を歩むことになります。

1972年 沖縄本土復帰…第2次世界大戦後アメリカに占領されていた沖縄が、26年ぶりに返還され、沖縄県として日本に復帰しました。

投稿日:2009年05月15日(金) 09:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)