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浄土宗の法然

今日4月7日は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で「浄土宗」を開いた法然(ほうねん)が、1133年に誕生した日です。

「いっしょうけんめいに、南無阿弥陀仏をとなえれば、人間はだれでも、来世で極楽浄土に生まれかわることができる」

源頼朝が鎌倉に幕府を開く少しまえに、このように説く浄土宗がおこりました。法然は、この浄土宗の開祖です。法然は、1133年に、美作国(岡山県)で生まれました。父は豪族でした。ところが、法然が8歳のときに、同じ土地の領主の一族におそわれて殺されてしまいました。

このとき法然は、母ともはなればなれになったまま、家の先祖の霊をまつる菩提寺に身をかくしました。そして、12歳のときに出家して比叡山へのぼり、最澄が建てた天台宗延暦寺の僧になりました。

父は、死のまぎわに「親の仇を討ってはならぬ。うらみは忘れるのだ」といい残していました。法然は、父のこの遺言を守って、髪をそる決心をしたのです。

法然は、源信が地獄と極楽を教えた『往生要集』を学びながら、ほんとうの仏の道をさぐりました。ところが、比叡山の僧たちは、学問や修行よりも自分たちの利益のための争いに明け暮れ、法然の心をまよわすばかりでした。

「シャカの死ご2000年ほどで仏教がおとろえ社会が乱れると伝えられてきたが、ほんとうに、その時代がやってきたのかもしれない。しかし、このままではいけない」

法然は、17歳で延暦寺をはなれて京都の黒谷に住み、すべての仏教の教えをまとめた『一切経』を何度も読み返して、修行にはげみました。しかし、唐の善導という僧が書いた『観経疏』を読んでさとりを開くまでには、25年もの長い歳月がかかりました。

42歳になった法然は、京都の東山に小さな家を建てて住み、町へでて、浄土宗を説き始めました。

「念仏を唱えさえすればよいのなら、こんなありがたいことはない」「法然の教えは、ほろびそうになっている仏教を、きっと救ってくれるにちがいない」

浄土宗は広まり、法然の名は国じゅうに知られるようになりました。ところが74歳のときに、法然は四国へ流されてしまいました。念仏に反対する僧たちが、浄土宗の念仏の禁止を朝廷に訴えたからです。でも、やがて罪は許され、ふたたび京都へもどってくると、おおくの弟子に囲まれて1212年、79歳の生涯を終えました。弟子の親鸞は、法然の教えをさらに進めて、のちに浄土真宗を開きました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)21巻「平清盛・源頼朝・源義経」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「法然」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、2月末より300余名の「小伝」を公開しています。


「4月7日にあった主なできごと」

1506年 ザビエル誕生…1549年、日本に初めてキリスト教を伝えたスペインのイエズス会宣教師 ザビエル がフランスとスペインとの国ざかいのナバラ王国(1512年にスペインにほろぼされた)に誕生しました。ザビエルについては、2007年12月13日(キリスト教の伝来) 2007年11月30日(マラッカひとり旅) のブログでもふれています。

1945年 戦艦大和撃沈…大日本帝国海軍が建造した排水量6万8千トンという当時世界最大の戦艦「大和(やまと)」は、この日沖縄にむけて出撃途上、屋久島沖でアメリカ航空機部隊386機の集中攻撃を受けて3000人の将兵とともに、海底深く沈没しました。

投稿日:2009年04月07日(火) 09:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)