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「ピータービット」 のビアトリクス・ポター

今日7月28日は、世界で一番有名なうさぎ 「ピーターラビット」 シリーズ23点の作者ビアトリクス・ポターが、1866年に生まれた日です。ポターが世界的な環境保護団体 「ナショナル・トラスト」 運動の支持者だったことも有名です。また、ポターの生涯を描いた映画 「ミス・ポター」 が、昨年秋に日本語版ロードショー公開されました。

ビアトリクス・ポターは、ロンドンのケンジントンに生まれました。父親は弁護士で、ポターは何人もの使用人に囲まれながら、両親よりも乳母や家庭教師と日々を送っていました。

両親とも芸術に造詣が深く、6歳年下の弟も油絵をたしなんでいました。ポターは、ウサギ、ネズミ、カエル、イモリ、トカゲなどたくさんの小動物を自分の部屋に飼っていて、それらをスケッチすることで絵の才能を育んでいきました。とくにピーターラビットとベンジャミンという名の2匹のうさぎは、ポターの代表作である冒険物語になったことはいうまでもありません。ポターはまた、ケンジントン公園にある 「自然史博物館」 を幾度も訪れて展示物をスケッチしました。夏には家族で毎年のように休暇をすごすスコットランドも、姉弟のお気に入りで、田園風景や野生の動植物と終日過ごしたと思われます。

ポターが16歳になったとき、一家はこれまでの習慣を変えて、夏のあいだ、「湖水地方」 に大きな家を借りることにしました。ポターはこのときはじめて、後に人生に大きな影響をおよぼす場所にであったのです。多くのピーターラビットシリーズの絵本は、この湖水地方を舞台に描かれました。そしてポターは、絵本を売ってえた収益で、ベストセラー作家としてポターの地位を不動のものにしました。

「ピーターラビットのおはなし」 は、1902年にフレデリック・ウォーン社から出版されました。このお話は、以前ポターの家庭教師だった人の息子ノエル君をはげます絵手紙から生まれました。この本が出版されたとき、ポターは36歳で、両親とともに平穏なくらしをしていました。

1905年、ポターの出版を手がけ、いっしょに仕事をしてきた編集者ノーマン・ウォーンからプロポーズされ、ポターは即座にこれを受け入れたものの、「商人のところへ嫁にやるわけにはいかない」 と両親の大反対にあいます。不幸にも、その数週間後、ノーマンは貧血症でこの世を去ってしまいました。

そんな中でも、ポターのピーターラビットおはなしシリーズの人気はますますが高まり、やがてポターは独立して、生計が立てられるようになっていき、湖水地方に、最初の所有地ニアソーリ村の農場を手に入れたのでした。そして、1913年、ポターの財産管理をしていたヒーリスという事務弁護士と結婚しました。

47歳のとき、すでにピーターラビットと仲間シリーズも18点に及んでいました。その頃には、ポターは絵本をかくことよりも、農業やヒツジの飼育に時間と労力をさくようになっていました。農業の知識を充分に備え、地域に貢献していたポターは、湖水地方のヒーリス夫人として、多くの人々の尊敬を集めていたのです。

ポターは、心から愛した湖水地方の田園とそこに住む動物たちのために、この地を保護する努力を続けました。1943年ポターは亡くなりましたが、そのとき、15の農場と多数のコテージを含む4000エーカーもの土地をナショナル・トラストに寄贈しました。ポターの遺した湖水地方の土地は、次の世代の人々を魅了する贈り物として、今も大切に守られています。

なお、昨年9月12日号のブログでは、映画「ミス・ポター」 について記述しています。あわせて、参考にしていただければ幸いです。

投稿日:2008年07月28日(月) 09:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)