今日7月24日は、「三銃士」 や 「モンテクリスト伯」(巌窟王) などの長編小説を著したフランスの作家アレクサンドル・デュマが、1802年に生まれた日です。
固い友情でむすばれた青年ダルタニアンと3人の剣士が活やくする、痛快な歴史物語『三銃士』。無実の罪でとらえられた男が、やがて牢獄をぬけだして、次つぎに復しゅうしていく冒険物語『モンテ・クリスト伯』。この2つの名作を書き残したのは、父親のデュマです。そして、その息子も『椿姫』という、かわいそうな女の悲しい恋の物語を書いて名をあげました。やはり、デュマという名前です。
ふたりのアレクサンドル・デュマという名前は、まったく同じでした。だから、歴史のうえでは、父親を大デュマ、息子を小デュマとよんで区別しています。
1802年に、北フランスのビレール・コットレという町で生まれた大デュマは、4歳のときに軍人の父を亡くし、貧しさのため小学校へはほとんど行けませんでした。しかし、負けん気の強い大デュマは、少しも、くじけませんでした。母や神父から文字をおそわると、さまざまな本を読みあさり、少年時代を明るくすごしました。
「いつかは、ぼくも、おもしろい劇や物語を書きたい」
大デュマの胸のなかで、作家になる夢が、しだいにふくらんでいきました。そして、20歳のとき、わずかなお金をポケットに入れるとパリへ出て、はたらきながら勉強を始めました。
7年のち、心にえがいていた夢が花開きました。歴史を劇にした『アンリ3世とその宮廷』がパリの劇場で上演され、大評判になったのです。大デュマは、いちやく有名な劇作家になり、おおくの戯曲を発表しました。また、40歳をすぎたころからは小説に力をそそぎ、68歳で生涯を終えるまでに、250編を越えるおもしろい作品を書きつづけました。
小デュマは、1824年に生まれました。大デュマの、本当の妻の子どもではありませんでした。
『椿姫』を書いたのは、まだ24歳のときでした。早くから、父といっしょに都会ではなやかな生活をしましたが、自分が私生児でしたので、町の片すみでしいたげられている女に心をひかれて、この小説を書きあげたのです。そして、それからのちも、さまざまな社会問題をするどくみつめて、苦しい世の中を生きぬく人びとをえがきつづけ、71歳で亡くなりました。
小説『椿姫』は、19世紀の半ばすぎから歌劇として上演されるようになり、いまも、世界の名歌劇のひとつに数えられています。大デュマも、小デュマも、物語の組み立てかたが天才的な小説家でした。
さてこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 9巻「スチーブンソン・シューベルト・アンデルセン」 の後半に収録されている7篇の「小伝」のうち「デュマ父子」から引用しました。近日中に、300余篇の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。
なお、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「レディバード100点セット」54巻目に、大デュマ作 「三銃士」 の翻案日本語参考訳を収録しています。また、昨年7月24日のブログ「今日はこんな日」では、1927年の今日亡くなった 「芥川龍之介」 を紹介していますので、あわせて目を通されることをおすすめします。
コメント (1)
三銃士、モンテクリスト伯」(巌窟王)。。。
いずれも最高ですね!
まー、どちらかというと男性が喜ぶかもしれない
小説ですが、でも、まだ読んでない方には、
どうしてもと、お勧めしたいと思います。
本を読む楽しさを実感していただきたいですね。
はまると大変です。
ハリーポッターを読んでいる人たちには
ご理解いただけるかな。
Posted by: ヘンリーおじさん | 2008年07月25日 22:06
日時: : 2008年07月25日 22:06