今日7月23日は、農家に生まれ、幼い頃に両親を失いながらも刻苦して小田原藩士となり、各地の農村の復興や改革につくした江戸後期の農政家・二宮尊徳(にのみや そんとく)が、1787年に生まれた日です。
1945年、太平洋戦争が終わって何年かまでは、全国のたいていの小学校の校庭には、たきぎを背負って本を読みながら歩いている二宮金次郎 (尊徳の子どものころの名) の銅像がみられました。働きながら、立派に勉強を続ける金次郎を見習うようにということからでした。その銅像の大半が戦後まもなく取りはらわれてしまったのは、二宮尊徳の倹約や節約を奨励する考え方が国家主義に利用されたことと、人間の権利を守り生活の豊かさを求める風潮、民主主義を掲げる時代にふさわしくないというのがその理由でした。
金次郎は両親を失ったあと、おじさんの家に引き取られながらも、懸命に働きました。そのかいがあって、19歳の時に独立、24歳の時に小田原藩の重臣である服部家の再建をひきうけて3年で成功、つぶれた二宮家を再興させました。さらに、小田原藩家老の家計の再建をたのまれ、持ち前の倹約と勤勉をとなえて、5年がかりでをたて直しました。こうした功績により、35歳で小田原藩士にとりたてられ、小田原藩と関係の深い下野(栃木県)の3つの村のたて直しを、15年間現地にとどまって、自らさしずしながら成功に結びつけました。
56歳の時には幕府の役人にめしかかえられ、幕府の領地である日光89か所の村の復興を手がけるなど、1856年70歳でなくなるまでに、600以上もの町村を復興させました。
2004年に環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性のワンガリ・マータイさん(アフリカ人のノーベル賞も初)が、2005年の来日の際に、感銘を受けた日本語は「もったいない」と大きく報道されました。大量生産、大量販売、大量消費という戦後社会を象徴する経済の仕組みへの反省と、環境保護が叫ばれている今日にあって、その対極にあるような、尊徳の掲げる「倹約と勤勉」という基本テーマは、あらためて見直されるべき時代なのではないでしょうか。
なお、二宮尊徳の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブック(「せかい伝記図書館」を公開中) の「二宮尊徳」を、ぜひご覧ください。約100名の伝記の一人として紹介しています。