今日7月22日は、室町時代に現在も演じられる多くの能をつくり、「風姿花伝」(花伝書) を著して能楽を大成した世阿弥(ぜあみ)が、1363年に生まれた日です。
日本に古代から伝わってきた芸能のひとつに、猿楽とよばれるものがありました。こっけいな、物まね、曲芸、おどりなどを中心にした芸です。神社や寺の祭り、貴族の集まりなどで、人びとを楽しませるためにおこなわれてきました。
世阿弥は、この猿楽に、奥深い歌や舞いや劇をとり入れて、能楽とよばれる新しい芸術をつくりあげた人です。猿楽を演じる観世座という一座をおこし、のちに能楽観世流の祖とあおがれるようになった能役者観阿弥(かんあみ)の子として生まれ、幼いころから、父のきびしい教えをうけて成長しました。
12歳になったころ、世阿弥の能役者としての道が、大きく開かれました。猿楽に舞いをくわえた猿楽能を、室町幕府の第3代将軍足利義満の前で父といっしょに演じて、義満にかわいがられるようになったのです。観阿弥、世阿弥の芸がすばらしかっただけではなく、美少年だった世阿弥のすがたが、このとき16、7歳の義満の心をとらえたのだろう、といわれています。そののちの世阿弥は、祭りや歌の会などにも義満にまねかれ、貴族と交わる生活を楽しむようになりました。
しかし、自分の芸をみがくことは、けっして忘れませんでした。能の道に生きることを、しっかり心に決めていたからです。
世阿弥は21歳のころ父が亡くなると観世座のかしらをひきつぎました。そして、観世座をさらに発展させるいっぽう、能とはなにか、能の歴史、能を演じるものの心がまえを説いた『風姿花伝』などの本をまとめ、亡き父をのりこえて、能の芸術を深くきわめていきました。
とくにきびしく追いもとめたのは、平凡で静かな動きのなかに深い味わいをだす、幽玄の世界です。人びとに目と耳で楽しませてきた猿楽を、心で感動させる芸へ高めようとしたのです。自分の筆で数おおくの能の名作を書き、また、能芸術論『至花道』『花鏡』などもつぎつぎに発表して、能楽の花を大きく開かせていきました。
ところが、義満が亡くなったあと、やがて第6代将軍義教(よしのり)の世になると、義教につめたくあつかわれ、思いがけない悲運におそわれました。観世座のかしらの地位をうばわれただけではありません。1434年には、わけもわからないうちに佐渡へ流されてしまいました。そして、数年ごに京へもどってからも消息のわからないまま、およそ80年の生涯を終えてしまいました。
晩年の世阿弥は不幸でした。しかし、世阿弥の心はいつまでも生きつづけ、能は日本の伝統芸能へと発展しました。
なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 23巻「足利尊氏・一休・雪舟」 の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。