今日7月15日は、17世紀に最盛期をむかえたオランダ絵画界にあって、「夜警」 「フローラ」 「自画像」 など数々の名画を描き、オランダ最大の画家といわれるレンブラントが、1606年に生まれた日です。
美術史上、「自画像」 をたくさん残しているのは、レンブラントと、ゴッホでしょう。ふたりは200年以上もの開きがあるのに、共にオランダ人であるというのは興味深いものがあります。共通点は、どちらも光を追い求めた画家だということ、頑固な変わり者で周囲と摩擦をおこすことが多かったこと、そのためにモデルを探すことがむずかしく手っ取り早く自画像をえがいたこと、さらにいえば孤独で悲惨な最期をとげたことといえるかもしれません。
レンブラントが生まれた1600年代は、オランダの最盛期の時代で、絵画の世界でも黄金時代といわれるほどでした。前の世紀までのオランダは、スペインの支配下にあって、海外貿易による利益も、スペインにすいあげられるという状態でした。でも、長い独立戦争の末に共和国として一本立ちしたのです。レンブラントは、そんな再出発したオランダのライデンという港町に生まれました。
家は豊かな粉ひき屋で、父親はレンブラントを法律家にしたいと考えていました。でも、幼いころから絵が好きだったレンブラントは、父親の許しをえて、絵の修業をすることになり、18歳でライデンの町で独立を果たしました。若い頃は世間の評判もよく、注文も殺到してお金に不自由することはありませんでした。そして、ライデンからアムステルダムへ移り、貴族の娘と結婚するなど、とてもめぐまれていました。
ところが、1642年に火縄銃組合から依頼された肖像画 「夜警」 を描いてから、評判が悪くなってしまいました。レンブラントは、ありきたりの肖像画ではつまらないと、このような、舞台の一場面を描写したような作品にしあげたからです。全員を満足させる記念写真のような肖像画を望んでいる人びとからの注文はとだえ、生活は急速に貧しくなっていきました。
しかし、レンブラントは生活が窮乏しても、自分の信じる絵を懸命に描き続けました。50歳の頃には破産の宣告を受け、63歳で一生を終えたときには、聖書一冊のほかは何もなかったといわれています。でも、そんな不幸な時代の絵の奥深さがいっそう評価されているところに、レンブラントのすごさがあるといってよいでしょう。レンブラントが生涯に描いた作品は、800点以上もの油絵のほか、エッチング、デッサンなどを含めると、6000点もあります。
なお、レンブラントの世界3大名画ともいわれる 「夜警」 につきましては、以前このブログで紹介しています。参考にしていただければ幸いです。