今日7月14日は、1789年パリ市民が政治犯を収容するバスティーユ牢獄を襲撃し、革命のひぶたが落とされた日です。日本では、この日を 「パリ祭」 と呼んでいますが、フランス国民は毎年、歌ったり踊ったり、心から喜びあう国民の祝日です。
1789年当時のフランスは、国土の9割を私有する国王、貴族と僧侶を中心に政治をおこなっていたため、国民の大半を占める農民は、高い税金と厳しい労役に苦しみ、力をつけてきた商人も税金に悩まされていました。そんなことから農民や商人のあいだに不満が高まっていました。そこへ、モンテスキュー、ボルテール、ルソー、ディドロといった啓蒙思想家が、国王たちの圧政をはげしく攻撃し、民主主義の考え方をひろめていました。また、1776年、イギリスの専制政治から独立して、アメリカ合衆国という新しい国が生まれたことも、フランス市民にははげまされたことでしょう。
そんなおり、フランス全土に飢饉がひろまり、農民たちは食べるものにも困るほどになりました。産業はふるわず、失業者も国じゅうにあふれました。それにもかかわらず、時の国王ルイ16世は、国の財政を立て直すという名目で三部会(国王・貴族・平民の代表からなる議会)を開いて、これまで以上の税金をとろうとしました。
フランス国民はもうだまっていません。三部会の代表でもあった農民や商人たちの代表は、三部会から分かれてパリ郊外のベルサイユに国民議会を作り、民主主義の基礎となる憲法をつくるように国王や貴族たちにつめよりました。でも、国王たちは、軍隊の力でこれをおしつぶそうと、いがみあいました。
そして、1789年の今日、バスティーユの攻撃がおこったのです。パリ市民たちは、手に手に刀や鉄砲を持って広場に集まり、ある一群は武器庫を襲って武器を手にいれ、「バスティーユへ」 「バスティーユへ」 という声の広がりとともに、バスティーユの牢獄めがけておしよせました。バスティーユは、むかしは要塞でしたが、17世紀から牢獄になって、国王の専制政治に反対した人々がおしこめられていたのです。市民たちはそんな政治犯を救い出し、バスティーユの司令官を市庁舎前まで連行して、首をはねました。
国王は軍隊をくりだし、パリ市民とはげしい戦いをしましたが、この市街戦のニュースはたちまちフランス全土につたえられました。いっせいに立ち上がった全国の農民や地方の市民たちは、今のフランス国旗となっている自由(青)・平等(白)・博愛(赤)の三色旗を掲げ、国歌となっている 「ラ・マルセーズ」 を歌いながら、義勇軍を組織して、軍隊に立ち向かっていったのです。
こうして、貴族や僧侶たちを追い払い、農民や市民たちが議会をにぎることになり、国をにげだそうとした国王をとらえて死刑にし、フランスは短い期間ではありましたが、共和制の国となりました。