今日7月4日は、ラジュームを発見して夫ピエールといっしょにノーベル物理学賞をもらい、夫の死後ラジュームの分離に成功してノーベル化学賞をえた女性科学者キュリー夫人(マリー・キュリー)が、1934年に亡くなった日です。
5人兄弟の末っ子のマリーが生まれた1867年ごろのポーランドは、ロシアに占領されていたため、植民地のような状態でした。そのため、ポーランド語を話すことを禁じられ、ロシア式の生活を強いられました。学校の先生だった両親でしたが、10歳の時に母親は死に、父親もロシア人校長に教師をやめさせられるなど、科学者としてすぐれた力をもちながら、ふさわしい職場も待遇もあたえられませんでした。少しの給料で子どもたちを養っていくのは、どんなにたいへんだったことでしょう。
でも、姉の一人は亡くなりましたが、4人の子どもたちは、家庭教師などのアルバイトをして、自分と兄弟の学費をかせぎ、それぞれ、大学や専門学校にすすみました。女学校へ進んだマリーは、卒業の時には、学校1の成績をとりました。ものおぼえがよいばかりでなく、死にものぐるいで勉強をしたからです。
24歳のとき、マリーは姉のいるパリへ行き、ソルボンヌ大学に入りました。ここでも、みんなが驚くほどの勉強を続け、卒業時には物理学が1番、数学が2番という成績だったそうです。卒業後も大学に残り、27歳の時に、フランス人物理学者で、ソルボンヌ大学の先生をしていたピエールと知り合って結婚、フランス人になりました。
こうして、研究者として、また娘のイレーヌ(後にノーベル賞を受賞)ら子どもたちを育てながら、さまざまな実験に取り組み、どのようにして、ノーベル賞を受賞するようになったか、またその後半生につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブック(「せかい伝記図書館」を公開中) の 「キュリー夫人」 を、ぜひご覧ください。約100名の伝記の一人として紹介しています。
なお、昨年(2007年)7月4日、今日はこんな日のブログには、「アメリカの独立記念日」 を掲載していますので、あわせてご覧いただければ幸いです。