今日7月4日は、アメリカが1776年に、イギリスの植民地から独立を宣言した記念すべき日です。
現在、アメリカ合衆国には50の州があります。でも、当時は、まだ13州しかありませんでした。その13州は、北にカナダ、南はスペイン領のフロリダにはさまれた大西洋岸からミシシッピー川までの土地が国土で、人口は、ヨーロッパから移住したイギリス人、フランス人、スペイン人、オランダ人など300万人ほど、他に原住民であるインディアンが住んでいるにすぎませんでした。
そもそも、アメリカがヨーロッパに知られるようになったのは、1492年にコロンブスがアメリカを発見してからで、そのスポンサーがスペインだったために、まずスペイン人が新大陸南部に移住をはじめました。やがてフランスが北部地方を植民地にしました。少し遅れてイギリスが、今のバージニア州あたりに植民地を作りました。
1620年にはメイフラワー号に乗った清教徒(ピューリタン)が、ボストンに近いコッド岬へ上陸をしました。イギリスで迫害を受け、自由の天地を求めてやってきた人々です。そして自由で平等な新しい社会を作りはじめました。イギリス人は続々とアメリカにわたり、原始林を切りひらき、開拓をしながらアメリカを発展させていきました。他国の植民地と争いが起きましたが、勝利をおさめたのはイギリスでした。
やがて17世紀の半ばすぎには、人口もふえ、農産物もたくさんとれるようになり、本国へどんどん輸出できるようになりました。ところが、植民地のアメリカが栄えると、イギリス本国の品物がアメリカで売れなくなります。植民地は本国の利益のためにあるという考えを持っていたイギリス政府は、アメリカ植民地から輸入を制限したり、高い税金をかけたりしたのです。
1773年、イギリスがむりやりアメリカに茶を買わせようとしたことから、これに反対する植民地の茶商人が、イギリス船に積んであった茶を奪って海に投げこむという事件がボストンでおきました。知らせを聞いたイギリス海軍は、しかえしのために軍艦を出し、港を封鎖してしまいました。
植民地の人たちも、もうだまってはいられません。1774年、フィラデルフィアに各州の代表者を集め、本国のイギリスと戦争になってもしかたがないと決意、ワシントンを総司令官に選んで、1775年戦いの火ぶたがきられました。そして、翌1776年7月4日「人間は生まれながらに、自由・平等の権利を持っている。これをうばおうとする政府は、すみやかに廃止されなければならない。われわれは自由・平等を主旨に一致団結し、13州の独立を宣言する」という独立宣言を発表したのです。この「自由・平等・独立」はアメリカ民主主義のもとになりました。
しかし、独立を宣言したものの、戦いは苦戦の連続でした。それから6年後の1782年、ようやくイギリス軍を打ち破ることができました。この勝利に勢いを得た13州の植民地は、翌年アメリカの独立をイギリスに認めさせることに成功、さらに、1787年に合衆国憲法を制定、1789年にワシントンを初代大統領に選んだのです。
いまや3億人の超大国アメリカも、独立宣言後、わずか230年しかたっていないのには、びっくりしてしまいます。
なお、アメリカ合衆国独立前後の詳しい内容につきましては、いずみ書房のオンラインブック「ワシントン」をご覧ください。