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「アイアイ」の解説に感銘

昨日、「みんなのおんがくかい」を紹介した際、歌にまつわる解説が168曲すべてについており「アイアイ」を例にあげたところ、さっそく鹿児島県に住むKさんから次のような電話をいただいた。

「アイアイ」がサルの種類であることをはじめて知りました。マダガスカル島に住んでいるこんなかわいいサルだったなんてとてもビックリ。だいぶ以前私が見た絵本にそえられていた絵は、チンパンジーのようなサルだったような気がします。あれは間違いだったのですね。お手数ですが、どの歌でもかまいませんので、他にもう2、3の歌の解説を見ることはできないでしょうか。購入を本気に考えていますので、よろしくお願いします。

リクエストにお応えして、いくつか紹介してみよう。まずは、平井堅の歌で大ヒットした「おおきなふるどけい」(H・C・ワーク作詞・作曲、訳詞・保富康午)

おおきなふるどけい この大きな古時計、100年も動いてたんだって。おじいさんが生まれたとき、おじいさんのお父さんが買ってきたの。 そして、それからは、いつも、小さな声でチクタクチクタク言いながら、おじいさんや、おうちの人に 「もう朝ですよ」 「ごはんの時間ですよ」 「おやつの時間ですよ」 「お父さんが帰ってくる時間ですよ」 「お休みの時間ですよ」って、知らせてきたの。たいへんだったでしょうね。長い針と短い針が12のところにきたときは、どんな音をだしたのかな。大きい時計だからボーン、ボーンかな。おうちに、うれしいことがあったときは、うれしそうにボーンボーン、悲しいことがあったときは、悲しそうにボーンボーンと鳴ったのよね。おじいさんが死んだら、動かなくなってしまったの。おじいさんが天国へ行ったから、時計も、おじいさんについて、天国へ行ったのよ、ねえ、そう思うでしょ。

つづいて、野口雨情作詞、本居長世作曲の「あかいくつ」

あかいくつ 異人さんというのは、よその国の人のことなの。赤いくつをはいた女の子は、その異人さんに手をひかれて、遠い遠い国へ行ってしまったの。異人さんに、もらわれていったのかしら。ひとりで知らない国へ行くなんて、さみしかったでしょうねえ。お船の上で、青い空に、お母さん雲と子どもの雲が浮かんでいるのを見ながら、夜、お母さん星と子どもの星が並んで光っているのを見ながら、目に、なみだをいっぱいうかべたのじゃないかしら。でも、遠い国へ行ったら、きっと、しあわせになったと思うわ。やさしい女の子だったから、みんなにかわいがられたわよねえ。そして、大きくなったら異人さんと結婚して、青い目のおんなの子を産んで、その子に赤いくつをはかせてあげたんじゃないかしら。

投稿日:2005年11月11日(金) 10:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)