« 2018年05月20日 | 児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top2018年05月22日 »

最新記事【2018年05月21日】


● 今日(5月21日)の主なできごと

1575年 長篠の戦い……甲斐の武田勝頼と、織田信長・徳川家康軍との間で、三河の長篠城をめぐる戦いがあった。この「長篠の戦い」で武田軍は、信長・家康の連合軍に完膚なきまでにやられてしまい、多くの勇将を失った。

1927年 大西洋無着陸横断飛行……アメリカの飛行家リンドバーグは、前日ニューヨークを飛び立ち、この日の夜パリに到着した。飛行距離は約5800km、飛行時間33時間30分、世界初の大西洋無着陸単独飛行だった。リンドバーグは、1931年には北太平洋を横断して日本にも到達し、大歓迎を受けた。


● 今日の主な記念日・恒例日

小学校開校の日……1869年のこの日、京都市に日本初の小学校「上京第二十七番組小学校」が開校したことにちなむ記念日。この学校は、住民が自分達で資金を調達して建設したものだった。

リンドバーグ翼の日……リンドバーグがパリに到着する前に、「翼よ、あれがパリの灯だ」という有名な言葉とともにパリのル・ブールジェ空港に到着したことから制定された。

探偵の日……1891年のこの日、日本で初めて探偵の広告が新聞に掲載されたことから、探偵協会が制定。


● 今日生まれた人

1471年 デューラー……ドイツの画家・版画家・彫刻家。「北方ルネサンス絵画」の完成者。代表作『野うさぎ』『自画像』『メランコリア』など。

1804年 グリンカ……ロシアの作曲家。「近代ロシア音楽」の祖。代表作『ルスランとリュドミラ』『皇帝に捧げた命』など。

1844年 アンリ・ルソー……フランスの画家。代表作『私自身:肖像=風景』『眠るジプシー女』『戦争』『ジュニエ爺さんの二輪馬車』など。

1921年 サハロフ……ソ連の原子物理学者。「ソ連の水爆の父」といわれるも、人権活動家として核実験禁止を叫ぶ。


● 今日亡くなった人

1815年 鳥居清長……江戸時代中・後期の浮世絵師。写楽・北斎・広重と並び六大浮世絵師の一人。『美南見十二候』シリーズなど八頭身の美人画に特長。

1895年 スッペ(ズッペ) ……オーストリアの作曲家。代表作『スペードの女王』『ボッカチオ』『軽騎兵』『詩人と農夫』などのオペレッタ。

1925年 上野英三郎……明治・大正期の農学者。「忠犬ハチ公」の飼い主。

1928年 野口英世……明治・大正・昭和期の細菌学者。黄熱病・梅毒・狂犬病・蛇毒等の研究で知られ、アフリカで黄熱病の研究中に感染し死亡。

1935年 ジェーン・アダムズ……アメリカの女性社会事業家・平和運動家。「ソーシャルワーク」の先駆者。

1952年 田中館愛橘……明治・大正・昭和期の地球物理学者・ローマ字国字論者。

1973年 松本清……昭和期の実業家。ドラッグストアチェーン「マツモトキヨシ」創業。松戸市長時代に「すぐやる課」設立。

1990年 藤山寛美……昭和期の喜劇俳優。「松竹新喜劇」の大スター。

2006年 寺村輝夫……昭和・平成期の児童文学作家。代表作『おしゃべりなたまごやき』『ぼくは王さま』『おおきなちいさいぞう』など。


● 過去のマイブログ「5月21日」のテーマ

2014年 「セツルメントの先駆」 ジェーン・アダムズ
「ハルハウス」を設立して世界最大規模のセツルメントに発展させ、生涯を貧しい人たちに捧げたアメリカの女性社会事業家ジェーン・アダムズが、1935年に亡くなった日です。1860年、イリノイ州シダービルに豊かな事業家の子として生まれたジェーン・アダムズは、幼いころに母親を亡くし、病弱だったことから家族の愛情を一身に集め、心優しい少女に成長しました……。

2013年 「ドイツ・ルネッサンス絵画」 とデューラー
北方ルネサンス絵画の完成者、ドイツ美術史上もっとも偉大な芸術家と高く評価されるデューラーが、1471年に生まれた日です。金銀細工師の子として、ニュールンベルクに生まれたアルブレヒト・デューラーは、幼いころから父に金工の技術を学び、15歳のとき最先端をゆく芸術家ボルゲムートに弟子入りし、絵だけでなく銀筆素描による版画の技術を身につけました……。

2012年  地球物理学の草分け・田中館愛橘
明治・大正・昭和期に活躍した地球物理学者の田中館愛橘(たなかだて あいきつ)が、1952年に亡くなった日です。1856年、陸奥国(現・岩手県二戸市)の南部藩士の家に生まれた田中館は、南部藩の藩校で学んだ後に、一家で東京へ移住しました。慶応義塾を中退し、東京外国語学校を経て、1878年に、前年発足したばかりの東大理学部に入学……。

2010年  日本書紀
歴史書 『日本書紀』 が、天武天皇の皇子である舎人親王が中心となって、720年に編さんされた日です。『古事記』 は712年に完成した歴史書で、歴代の天皇とそのエピソードが中心だったのに対し、『日本書紀』 は 『古事記』 をまとめた太安万侶ら数人の学者が協力した本格的なもので、資料として、古くから伝わる説話のほか寺院の縁起、諸家の記録、中国・朝鮮の史料などを広く用い、神代から持統天皇までを漢文の編年体で記し、巻数も古事記の10倍……。

2009年  長篠の戦い
今日は、甲斐の武田勝頼と、織田信長・徳川家康軍との間で、三河の長篠城をめぐる戦いが、1575年にあった日です。この戦いの2年ほど前、武田家の家臣だった奥平家は、武田信玄の死後まもなく、徳川方へ寝返りました。徳川家康は武田家から手に入れたばかりの長篠城を奥平貞昌に配したため、1575年4月、武田勝頼は1万5000人の大軍を率いて長篠城を包囲しました……。

2008年  世界的な細菌学者・野口英世
黄熱病・梅毒・狂犬病・蛇毒などの細菌の研究に、大きな成果をあげた野口英世が、1928年に亡くなった日です。恐ろしい細菌が身体に入ると、多くの人は病気になったり、死んだりします。でも、その細菌がどんなものかがわからないと、菌を殺す薬をこしらえたり、殺す方法がわかりません。そんな恐ろしい細菌の研究に生涯……。
投稿日:2018年05月21日(月) 05:58

2018年05月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)