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2018年版 5月11日はこんな日


● 今日(5月11日)の主なできごと

330年 コンスタンチノープルがローマ帝国首都……古代ローマ帝国コンスタンチヌス1世はこの日、コンスタンチノープル(今のイスタンブール)をローマ帝国の新首都とした。以来1453年にオスマン帝国に征服されるまで帝国の首都として繁栄。

708年 初の国産貨幣「和同開珎」……この日、公朝十二銭と呼ばれる官銭の1番目として「和同開珎(かいちん)」の銀銭が鋳造された。同年8月に、銅製の実用通貨を発行し、年号も和同となった。

1891年 大津事件……日本訪問中のロシア皇太子ニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)は琵琶湖見物の帰りに大津市を通ったとき、警備の巡査に突然斬りかかられた。この「大津事件」でロシアとの関係悪化を恐れた政府は、犯人の死刑判決を求めたが、大審院(現在の最高裁判所)は政府の圧力をはねつけ「無期懲役」の判決を下した。これにより日本の司法権への信頼が、国際的に高まった。

1970年 日本人エベレスト初登頂……植村直己と松浦輝夫が日本人初となる世界最高峰エベレストの登頂に成功。


● 今日の主な記念日・恒例日

鵜飼開き……岐阜市の長良川で、毎年この日に恒例の鵜飼開きが行われ、10月15日まで、中秋の名月と増水時以外は毎日鵜飼が行われる。鵜が捕えた鮎をのどにため込む性質を利用し、漁師は鵜につけたひもを巧みにあやつって水にもぐらせ、捕った鮎をのどからはき出させる1300年も続く漁。
 

● 今日生まれた人

483年 ユスティニアヌス1世……東ローマ皇帝。ローマ帝国を復興。『ローマ法大全』の編纂。

1720年 ミュンヒハウゼン……ドイツの軍人・冒険家。

1904年 ダリ……スペインの前衛画家。代表作『記憶の固執(柔らかい時計)』『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』など。

1905年 ショーロホフ……ソ連の小説家。代表作『静かなるドン』『人間の運命』など。

1920年 川喜田二郎……昭和・平成期の地理学者・文化人類学者。代表著作『発想法 創造性開発のために 』KJ法を考案。


● 今日亡くなった人

1473年 細川勝元……室町時代の武将・守護大名。応仁の乱の東軍総大将。

1865年 武市瑞山(半平太) ……幕末期土佐藩の剣客・尊攘派志士。

1869年 土方歳三……幕末期の新選組副長。戊辰戦争「箱館五稜郭戦」で戦死。

1881年 アミエル……スイスの哲学者。代表作『アミエルの日記』など。

1942年 萩原朔太郎……大正・昭和前期の詩人。代表作『月に吠える』『青猫』など。

1961年 小川未明……明治・大正・昭和期の児童文学者。代表作『金の輪』『赤いろうそくと人魚』『月夜と眼鏡』『小さな草と太陽』など。

1966年 小泉信三……大正・昭和期の経済学者・教育者。

1975年 梶山季之……昭和期の推理小説家。代表作『黒の試走車』『赤いダイヤ』など。

1992年 いずみたく……昭和・平成期の作曲家。代表作『見上げてごらん夜の星を』『夜明けの唄』『希望』『恋の季節』『いい湯だな』など。

1997年 亀倉雄策……昭和期のグラフィックデザイナー。1964年東京オリンピックのポスターなど。


● 過去のマイブログ「5月11日」のテーマ

2015年 「マルクス経済学批判」 の小泉信三
『価値論と社会主義』『共産主義批判の常識』などを著し、皇太子明仁親王(今の天皇)の教育係をつとめた経済学者・教育家の小泉信三(こいずみ しんぞう)が、1966年に亡くなった日です。1888年、東京三田に慶応義塾第2代塾長小泉信吉の長男として生まれた信三は、父が福沢諭吉の門下であったことから、幼少のころは晩年の諭吉の家に同居したこともあったようです。1910年慶応義塾大政治学科を卒業後は母校の教員となり、1912年にヨーロッパへ渡って……。

2012年 「応仁の乱」 と細川勝元
室町時代の武将・守護大名で、応仁の乱の東軍総大将として知られている細川勝元(ほそかわ かつもと)が、1473年に亡くなった日です。1430年、細川持之の長男として生まれた勝元は、父の死により13歳で家督を継承しました。16歳で室町幕府の将軍(わずか11歳の第8代将軍義政)を補佐する最高職の「管領」(斯波・細川・畠山家が交代で務める)に就任すると、以後1452〜64年、1468年〜73年と通算23年間も管領職を歴任し、幕政に大きな影響力を及ぼし……。
 
2011年  口語詩を確立させた萩原朔太郎
大正・昭和前期に活躍した詩人・萩原朔太郎(はぎわら さくたろう)が、1942年に亡くなった日です。1886年、群馬県前橋市の開業医の長男として生まれた朔太郎は、幼少のころから文学に興味を持ち、読書に熱中しました。しかし、短歌づくりなどあまりに文学に熱中しすぎて前橋中学を落第、熊本の第五高校では2年に進級できず、岡山の第六高校に入り直すも2年になれないまま退学して上京、慶応大学でも中途退学するなど……。

2010年  ほらふき男爵の冒険
ほらふき名人といわれるドイツのミュンヒハウゼン男爵が、1720年に生まれた日です。男爵の語る奇想天外な話の数かずは、ラスペやビュルガーといったドイツ文学者が、男爵から直接聞いたと思われる人たちの出版物を中心に、新しい話もつけ加えられながらヨーロッパじゅうに広がっていきました。中部ドイツのハーメルン近くの町に、名門貴族の5番目の子に生まれたミュンヒハウゼンは、15歳の時にある公爵のところに小姓として奉公に出されました……。

2009年  潮の満ち干はどうしておきるの?
[おもしろ科学質問箱 17] 海岸の浅瀬で潮干狩りを楽しんでいるうち、あっというまに潮が満ちてきて、びっくりした体験をした人は多いことでしょう。潮の満ち干は、おもに月の引力によっておこります。地球の表面が月に近いところでは、月の引力が海水を引きつけ、その反対側には遠心力が働くために、やはり海水が盛り上がります。これが満ち潮です……。

2007年  あなたの「アイデンティティ」は何ですか?
1か月ほど前のこと。女子フィギュアスケートの第一人者である浅田真央さんが、ある外国人記者からインタビューを受け、「あなたのアイデンティティは何ですか?」と質問されていました。浅田さんがキョトンとしているのを見て、マネージャーが中に入ってお茶をにごしているテレビの映像をたまたま目にしました。この質問は、大人でも答えにくいのに、16歳の少女が面食らうのは無理もありません……。

2006年  一房の葡萄 (ぶどう)
「一房の葡萄」(有島武郎作)のあらすじは次の通りです。西洋人町の小学校に通っている僕は、同じクラスのジムが美しい西洋絵の具を持っているのがうらやましくて、ふとジムの机の中から、絵の具を2色、ぬすんでしまいました。でも、すぐジムたちに気づかれて、先生のところへつれていかれました。ところが西洋人の女の先生は 「自分のしたことをいやなことだったと思いますか」 とたずねただけで、なにも叱りません……。
投稿日:2018年05月11日(金) 05:46

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)