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イワン雷帝

今日3月18日は、ロシア史上もっとも強力で個性的だった皇帝のイワン4世が、1584年に亡くなった日です。

1530年、ロシアを統一をしたイワン3世の孫、バシリー3世の子としてモスクワに生まれたイワンは、3歳のときに父王が亡くなったためにモスクワ大公になります。ところが摂政をつとめた母も急死したことで、宮廷クレムリンの中は大貴族たちが私闘をくりかえし、陰謀と暴力、人身攻撃がうずまくなかで、少年期をすごしました。

やがて、少しずつに実力をつけたイワンは、1547年にモスクワ・ロシアの初代皇帝(ツァーリ)イワン4世を名乗り、ギリシャ正教の首長となりました。また、選抜会議をもうけて国政に参加しましたが、当初はアダシエフが中心になっていたことで、イワンは地方行政面に力をそそぎ、代官制度をやめて住民に選ばれた長老に徴税や裁判をになわせる改革などを実施しました。

権力を強めたイワンは、慣習法の使用をやめて法典を定め、軍隊改革を行って東方に軍をすすめ、1552年にモンゴルのカザン・ハン国、1556年にはアストラハン国を併合しました。さらに西方のバルト海や黒海方面にも進出しようとしましたが、これは阻止されました。

専制政治を展開するのは1560年代に入ってからで、国家の中央集権化を推し進め、大貴族の専横を抑えることに力をそそぎました。1565年には、オブリチニナ(近衛府)を設けて、反対派の貴族を弾圧し、死刑や流刑をおこなったために「グローズヌイ」(日本では「雷帝」)と呼ばれるようになります。しかし、イワンの支配の時代は長く続きませんでした。農民の生活は重税や労役により苦しく、土地を捨てて東方や南方へ逃げ出す者も多くあらわれました。イワンは土地を離れることを禁止しましたが、コサック(自由民)は増え続けました。

1584年に入ると、健康がむしばまれ、翌年に生涯を終えました。なお、イワン4世の詳しい記録は、1626年のモスクワ大火でほとんどが消失したため、不明な点が多くあります。荒々しい性格だったことは事実で、1581年には長男を口論の末になぐり殺したといわれています。


「3月18日にあった主なできごと」

724年 柿本人麻呂死去…飛鳥時代の歌人で、山部赤人らとともに歌聖と称えられている柿本人麻呂の正確な生没年は不詳ですが、亡くなったとされる日です。

1871年 パリ・コミューン…普仏戦争の敗戦後のこの日、パリに労働者の代表たちによる「社会・人民共和国」いわゆるパリ・コミューンが組織されました。正式成立は3月29日で、5月28日に政府軍の反撃にあってわずか72日間でつぶれてしまいましたが、民衆が蜂起して誕生した革命政府であること、世界初の労働者階級の自治による民主国家で、短期間のうちに実行に移された革新的な政策(教会と国家の政教分離、無償の義務教育、女性参政権など)は、その後の世界に多くの影響をあたえました。
投稿日:2014年03月18日(火) 05:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)