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ドップラー効果

今日3月17日は、「ドップラー効果」を発見したことで知られるオーストリアの物理学者・数学者・天文学者ドップラーが、1853年に亡くなった日です。

1803年、ザルツブルクに石工の子として生まれたクリスチアン・ドップラーは、病弱だったために家業を継ぐのをあきらめ、ウィーンの工芸学校を卒業後、同市の工業研究所の助手となり、大学教授となる目標をたてました。

しかし国内では不可能なことがわかると、1835年にアメリカに渡ろうとミュンヘンまで行ったところ、チェコのプラハ州立中学からの依頼で数学と会計学の教師となり、1841年にはプラハ国立工科大学(現チェコ工科大学)に移って念願の数学教授となると、翌年「二重星(くっついて見える一対の恒星)の光に関し、星の運動方向と色の変化」という論文を発表しました。これは「ドップラー効果」の存在を主張したもので、世界にその名を広めることになりました。

たとえば線路のそばにいて近づいてくる電車の警笛を聞くとした場合、電車が通り過ぎると急に音が低くなるとか、電車に乗っていると、踏切の警報音が通り過ぎると低くなるなど、音源と観察者との音や光の振動数が変化することを詳しく調べあげ、数学的な関係式をつくったものでした。1845年にはオランダのユトレヒトで、列車に乗ったトランペット奏者が一定の音を吹き続け、それを絶対音感を持った音楽家が聞いて音程が変化することで証明しています。この理論は、のちに航空機飛行に欠かせないドップラー・レーダーや、自動車の速度測定などに応用されています。また、光については本格的な分光器が開発されるまで待たなくてはなりませんでしたが、ほぼ関係式の通りであることが証明されています。

その後ドップラーは、1850年に新設されたばかりのウィーン大学物理学研究所の所長に就任し、遺伝の法則で知られるメンデルらを育てましたが、肺を病んだことで、3年後に亡くなってしまいました。


「3月17日にあった主なできごと」

1220年 サマルカンド征服…モンゴルの征服者チンギス・ハンは、インドから黒海に至る交通路を占めていたホラズム・シャー朝の首都サマルカンド(現・ウズベキスタン)を徹底的に破壊し、数十万という人口の3/4を殺害しました。

1836年 ダイムラー誕生…ドイツの技術者で、自動車開発のパイオニアと讃えられているダイムラーが生まれました。

1945年 硫黄島玉砕…2か月ほど前から小笠原諸島の南西にある硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間に生じていた戦闘は、この日、アメリカ軍は猛爆を加え、日本軍は守備兵力2万余名のほとんどが戦死、アメリカ軍に島を奪取されてしまいました。このため、アメリカ軍は日本本土空襲の理想的な中間基地を手に入れ、東京大空襲、名古屋大空襲、大阪大空襲を続けざまに実施、日本軍は、勝ち目のほとんどない絶望的な本土戦を余儀なくされました。
投稿日:2014年03月17日(月) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)