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写真を普及させたイーストマン

今日3月14日は、ロールフィルムを発明し、イーストマン・コダック社を創業して写真の大衆化をはかったアメリカの実業家イーストマンが、1932年に亡くなった日です。

1854年、ニューヨーク州ウォータービルにある農場経営者の子として生まれたジョージ・イーストマンは、ロチェスターの公立学校で学んだ後、銀行の帳簿係をつとめながら、趣味の写真撮影を楽しんでいました。たまたま、ある島へ撮影に出かけたおり、カバンの中の衣類が、写真用の薬品で使い物にならなくなったことで、当時の湿板法にいやけをさしてしまいました。そこでイーストマンは、乾板法の実験をはじめ、3年もの実験の末、ガラス板にゼラチンと臭化銀をぬる方法をみつけだし、イギリスとアメリカで特許を取得しました。

イギリスの特許を売って得た資金をもとに、1880年に写真事業を始めたイーストマンは、1884年写真の基材をガラスから乳剤を塗ったロール紙に換える方法を見つけ出し、1888年にロールフィルム・カメラの特許を取得しました。そして、持ち運び自由な上、照明や焦点合わせ不要の箱型カメラを、100枚撮りのフィルムを装てんしたまま25ドルで売り出しました。写真を撮り終えた客は、10ドルをそえてカメラごと工場へ送れば、写真が焼きつけられ、カメラに新しいフィルムが装てんされて送り返されました。まさに「あなたはシャッターを押すだけ、あとはおまかせください」という宣伝文句にいつわりはありませんでした。

1892年にイーストマン・コダック社を設立させ、1897年には、明るい場所でも装てんでき、客はカメラを送り返す必要のない「ポケット・コダック」を発売しました。これが、今日の写真の普及のきっかけを作るとともに、アメリカ最大のカメラ・フィルム会社に育て上げたのでした。

従業員の福祉を重視したイーストマンは、アメリカの実業家として初めて労働者に会社の株や配当を分配しました。また、慈善家としても知られ、巨額の寄付金をロチェスター工科大学、ロチェスター歯科診療所など欧米の多くの大学や歯科医院に送っています。

晩年は、病気のために慢性の痛みと身体の衰えに苦しみぬき、「友よ、私の仕事は終わった。もう待てない」と書かれた遺書を残し、ピストル自殺により78年の生涯を閉じました。


「3月14日にあった主なできごと」

1497年 毛利元就誕生…戦国時代に中国地方ほぼ全域と四国の一部を支配し、毛利家の最盛期をつくった毛利元就が生れました。

1868年 五箇条の御誓文…天皇集権による明治新政府の基本方針となる「五箇条の御誓文」を公布しました。

1879年 アインシュタイン誕生…「一般相対性理論」を完成させてノーベル物理学賞を受賞し、平和活動に尽力した20世紀最大の物理学者といわれるアインシュタインが生れました。

1883年 マルクス死去…「科学的社会主義」を提唱し、労働運動の理論的指導者として世界に大きな影響力を与えたドイツ出身の経済学者マルクスが亡くなりました。
投稿日:2014年03月14日(金) 05:58

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)