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農奴を解放したアレクサンドル2世

今日3月13日は、帝政ロシア12代皇帝で、「農奴解放令」など数々の改革を実施したアレクサンドル2世が、1881年に亡くなった日です。

1818年、ニコライ1世の長男として生まれたアレクサンドルは、幼いころから帝王教育を受け、ドイツ語・フランス語・英語・ポーランド語をマスターし、軍事・外交・財政などの政治的教養を身につけていきました。1855年、ロシアとトルコ・英・仏連合軍との戦い「クリミア戦争」のさなかに父が亡くなったことで、皇帝の座につきました。翌1856年3月にロシアは敗北を認め、パリ条約を結びました。

敗北はロシアの「立ち遅れ」にあると分析したアレクサンドル2世は、経済発展や自由主義的な社会改革こそが国を救うと考えました。そこで、古い社会制度の象徴とされた農奴制の解体に着手し、1861年2月に農奴解放令を発布して、農奴の人格自由と土地所有を認めました。さらに、1864年には司法権の行政権からの独立、徴税請負制の廃止、国立銀行の創設など政府内の構造を近代化したばかりか、「ゼムストボ」とよばれる地方自治会を設立して農民でも地方議会へ選出できる制度をつくり、「初等国民学校令」を出して基礎的公教育を無償にしたり、1871年には女性が教員や公務員となることを許可、軍事面では男子に対する徴兵制をしくなど、改革を矢つぎばやに実施しました。しかしこうした改革も国民は満足せず、革命をおこそうとする秘密結社や、農民騒乱があちこちでおこりました。

1864年、ロシア領になっていたポーランドに独立をめざす大反乱がおきると、自治権をとりあげて母国語の使用を禁じました。また1866年に皇帝暗殺の動き(カラコーゾフ事件)があると、秩序維持高等委員会を設けて、べラルーシやウクライナなどヨーロッパロシア各地域にロシア化政策を強化し、革命運動を徹底的に弾圧するようになりました。こうした皇帝の反動的ともいえる行為は、逆に革命運動を刺激することになり、1870年代には農民革命をめざす「ナロードニキ運動」がさかんになりました。

そしてこの日、首都のペテルブルクの路上で、ナロードニキの「人民の意志」派メンバーが投げた爆弾により、暗殺されてしまったのでした。


「3月13日にあった主なできごと」

1578年 上杉謙信死去…戦国時代に、甲斐(山梨)の武田信玄と5度にわたる「川中島の戦い」をともに戦った越後(新潟)の武将の上杉謙信が亡くなりました。

1813年 高村光太郎誕生…彫刻家、画家、評論家として活躍し、詩集『道程』『智恵子抄』などを著した詩人の高村光太郎が生れました。

1988年 青函トンネル開通…青森県と北海道を結ぶ全長53.85kmという世界一長い海底トンネルが開通しました。これにより、津軽海峡を運航していた「青函連絡船」が姿を消すことになりました。
投稿日:2014年03月13日(木) 05:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)