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「組合運動の先駆者」 高野房太郎

今日3月12日は、わが国で初めて労働組合運動、生活協同組合運動に取り組んだ高野房太郎(たかの ふさたろう)が、1904年に亡くなった日です。

1869年、長崎で生まれた高野房太郎は、幼いころに一家で上京しますが、父が亡くなったことで、横浜の伯父のもとで働きながら横浜商業を卒業しました。1886年に渡米すると、サンフランシスコなど西海岸の都市で10年間働きながら、英語や経済学を学びました。その間、労働問題に関心をいだき、1891年洋服仕立工の沢田半之助らと職工義友会をサンフランシスコに結成。アメリカ労働総同盟(AFL)会長のサミュエル・ゴンパーズの教えを請いながら、アメリカやヨーロッパの労働問題の研究をするうち、ゴンバーズからAFLの日本での宣伝・勧誘活動の役割をになうように要請されました。

日清戦争後の1896年に沢田とともに帰国すると、日刊英字新聞「ジャパン・アドバタイザー」の記者となり、翌年7月に片山潜や沢田らと労働組合期成会を設立。幹事長となって「職工諸君に寄す」を書き、労働組合の結成を呼びかけ、12月には鉄工組合を創立させてその常任幹事となりました。1898年には労働者消費組合として「共営社」を運営するなど、労働組合運動の先駆者として貢献しました。

しかし、高野が穏健な労働組合運動を理想としていたのに対し、社会主義に傾いていた片山と対立するようになり、1900年に「治安警察法」が出されて、運動が弾圧されるようになると、将来に対する展望を失って運動から身をひいてしまいました。

「ジャパン・アドバタイザー」の従軍記者として中国に渡って取材活動をおこなっていましたがこの日、中国青島(チンタオ)のドイツ病院で亡くなってしまいました。36歳の若さでした。なお、弟の高野岩三郎は、社会運動家・社会統計学者として大成し、兄の遺志をついでいます。


「3月12日にあった主なできごと」

1876年 日曜休日制…日本の官庁は、明治時代以降、毎月31日を除いて、1と6のつく日を休日としていましたが、欧米にならって日曜を定休、土曜を半休とすることを決めました。

1925年 孫文死去…「三民主義」 を唱え、国民党を組織して中国革命を主導、「国父」 と呼ばれている孫文が亡くなりました。

1945年 アンネ・フランク死去…『アンネの日記』を書いたことで知られるアンネ・フランクが、ナチの収容所で亡くなりました。
投稿日:2014年03月12日(水) 05:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)