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『原爆詩集』 の峠三吉

今日3月10日は、原爆症に苦しみながら、原水爆反対運動に力をつくした詩人の峠三吉(とうげ さんきち)が、1953年に亡くなった日です。

1917年、父の勤務地だった大阪豊中市に生まれた峠三吉は、生後まもなく父の故郷広島市に転居しました。幼いころから病弱でしたが、母の影響をうけて文学好きな少年時代をすごしました。広島商業学校に在学中から詩作に親しみ、1935年に卒業してからは肺結核が悪化し寝たり起きたりの生活のなかで、その思いを俳句や短歌づくりなど文学の世界につづりました。

そして1945年8月6日、広島に落とされた原爆の「死の灰」を、爆心地からわずか3キロのところであびてしまいました。その直後に親戚や知人をさがし歩いた体験が、のちの『原爆詩集』の原点となったといわれています。

それ以後、持病に加え原爆症の後遺症に苦しみながら、「われらの詩の会」などさまざまな地域文化サークルに参加して中心的な役割を果たしたばかりでなく、丸木位里・俊「原爆の図」展の開催など、原水爆反対運動に力をつくしました。とくに1951年に刊行した『原爆詩集』は、たくさんの人びとに大きな感動を与えました。翌年には、大喀血して入院するものの、子どもたちの詩を集めたアンソロジー『原子雲の下より』の編集にたずさわるなど、再び精力的に活動に奔走する日々を送ります。

ところが1953年2月、創作活動や社会活動に耐えうる身体にしたいと、肺葉切除手術を受けましたが術中に病状が悪化、手術台上で亡くなってしまいました。被爆から8年後のことでした。

なお、広島市の平和公園内には、「にんげんをかえせ」の詩碑が建立されています。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

オンライン図書館「青空文庫」では、峠三吉の『原爆詩集』を読むことができます。


「3月10日にあった主なできごと」

710年 奈良時代始まる…天智天皇(中大兄皇子) の4女である元明天皇が、藤原京から奈良の平城京に都を移し、奈良時代がはじまりました。

1945年 東京大空襲…第2次世界大戦の末期、東京はアメリカ軍により100回以上もの空襲を受けましたが、前夜から深夜にかけての空襲はもっとも大規模なものでした。B-29爆撃機およそ300機が飛来して、超低空から木造家屋へ、大量の手榴弾、機銃掃射、焼夷弾を浴びせました。爆撃は2時間40分にもわたり、その夜の東京は、強い北西の季節風が吹いていたため、下町地区は火の海と化し、死亡・行方不明者は10万人以上、焼失家屋18万戸、罹災37万世帯、東京市街地の3分の1以上が焼失しました。
投稿日:2014年03月10日(月) 05:46

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)