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日ソ国交回復した鳩山一郎

今日3月7日は、第52〜54代内閣総理大臣をつとめ、日ソ国交回復、国際連盟加盟を実現させた鳩山一郎(はとやま いちろう)が、1959年に亡くなった日です。

1883年、衆議院議長をつとめた父鳩山和夫と、共立女子職業学校(いまの共立女子大)を設立した母春子の子として東京・東五軒町に生まれた一郎は、6歳のとき有名になった音羽の「鳩山御殿」に移り住み、1907年に東京帝国大英法科を卒業後に弁護士となりました。しかし、父が志なかばにして亡くなったことで政治家になる決意をし、1912年東京市議会議員、1915年に衆議院議員に当選すると、以後15回の当選をはたしています。

戦前は主として保守政党の政友会議員として行動しました。1927年田中義一内閣では幹事長および内閣書記官長、犬養毅内閣と斎藤実内閣では文部大臣をつとめましたが、1933年の京都帝国大の滝川幸辰(ゆきとき)教授の思想を非難する「滝川事件」(京大事件) の際には、京大総長に対して教授の免職を要求、これが拒絶されると文官分限令によって一方的に滝川を休職処分にしました。右翼の圧力があったとはいえ、学問の自由、大学の自治を侵害した責任はまぬがれません。

戦時中は主だった活動はしませんでしたが、戦後いちはやく日本自由党を結成して総裁となり、1946年の総選挙で第一党になると、首相の指名を待つばかりとなりました。ところが、GHQから戦争に協力したことなどが問題視され、公職追放となってしまいました。ところが1951年、追放解除を目前に脳梗塞で倒れたことから周辺の同情を集めることになり、翌年衆議院議員に復帰すると、鳩山ブームが起こり、盟友だった三木武吉の尽力により改進党とともに日本民主党を結成、1954年末に総理大臣となりました。

1955年には、自由党と日本民主党を合同させ、強力な保守政党の自由民主党をつくり、その総裁となりました。これが長く政界を支配する「55年体制」のはじまりでした。これにより、吉田茂前首相のアメリカ中心の外交から転換、1956年に「日ソ共同宣言」に調印して日ソ国交回復をなしとげ、日本の国際連合加盟を実現させたのでした。

いっぽう、日本の独立確保のためには憲法を改正し、再軍備をとなえ、改憲のために小選挙区制度の導入をはかろうとしましたが、野党だけでなく、与党内からも非難されたことで総理を辞任し、政界を引退しました。

なお、鳩山一郎の長男の威一郎、孫の由紀夫、邦夫も国会議員となっています。


「3月7日にあった主なできごと」

BC322年  アリストテレス死去…古代ギリシアの哲学者・学者・教育者・著述家として、さまざまな学問を集大成したアリストテレスが亡くなりました。

1608年 中江藤樹誕生…人を愛し敬う心を大切にし、母に孝養をつくして 「近江聖人」 とその徳望が慕われた江戸時代の儒学者 中江藤樹が生まれました。

1778年 ハワイ島の発見…イギリスの探検家クックがハワイ島を発見しました。翌年に上陸すると、原住民たちは神の化身として厚くもてなしたといわれています。なおハワイは、王国、共和国を経て、1898年にアメリカ合衆国に合併されました。
投稿日:2014年03月07日(金) 05:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)