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「学問による人間形成」 志した天野貞祐

今日3月6日は、カント哲学の翻訳と研究者として知られ、第3次吉田内閣の文部大臣、独協大学の初代学長をつとめた天野貞祐(あまの ていゆう)が、1980年に亡くなった日です。

1884年、現在の相模原市に豪農の子として生まれた天野貞祐は、旧制中学の独協学園に在学中に内村鑑三の著書に感銘、旧制一高に入学して内村から直接教えを受けて卒業後、京都帝国大に進学して西田幾多郎らからカント哲学を学び、在学中にカントの『哲学序説』を翻訳出版するほどでした。

1902年卒業後は、旧制七高(のちの鹿児島大)や学習院高等科(のちの学習院大)の教授としてカント哲学や倫理学を教え、1922年にはドイツのハイデルベルク大学に留学して研究を深め、1926年から京都帝大助教授となり、カントの代表作『純粋理性批判』を初めて日本語訳に成功したことが評価され、1931年に教授となりました。

1937年には『道徳の感覚』を出版し、カント主義に立った良心と熱情のこもった道徳論は、学生や知識人らに深い感銘をあたえました。ところが、そのなかに「軍事教練」と「陸軍幼年学校」を日本の教育界の2大障害物とするなど、日中戦争以後の軍国主義的風潮を批判する部分があったことから、軍部、右翼、マスコミ、御用学者たちから糾弾され、絶版にさせられてしまいました。これにこりず、1939年には『学生に与ふる書』を著して、時流に流される世の中に警鐘を発し続けました。

1944年、京都帝大を定年退職し甲南高校校長在任中に終戦を迎え、翌年に母校の一高校長に就任。1950年には吉田茂にこわれて、2年間文部大臣をつとめました。その間、時流に流されない教育という自身の信念に基づく教育行政を推進しようと「静かな愛国心」「道徳教育の必要性」を強調したことが、野党社会党や進歩的知識人たちから厳しく非難され、政治問題となってしまったことは、天野にとって不本意なことでした。

その後天野は、母校の独協学園の再建のための校長就任要請を受け、信条とする「学問を通じての人間形成」の精神のもとに、大学を創設すべきという声に支えられ、1964年に独協大学を創立して初代学長に就任、独協学園の学園長をつとめました。


「3月6日にあった主なできごと」

1537年 豊臣秀吉誕生…戦国時代に足軽百姓の子に生まれながら、織田信長にとりたてられて、全国統一をなしとげた豊臣秀吉が生れたとされる日です。

1972年 日の丸飛行隊が金・銀・銅独占…札幌冬季オリンピックのスキー70m級ジャンプで、笠谷が金、金野が銀、青地が銅メダルを獲得。過去の冬期オリンピックで金さえとったことのなかった大ニュースに、3人は「日の丸飛行隊」とよばれ話題を独占しました。
投稿日:2014年03月06日(木) 05:42

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)