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「新劇王」 テネシー・ウィリアムズ

今日2月25日は、『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』『熱いトタン屋根の猫』など、たくさんの戯曲を書いたアメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズが、1983年に亡くなった日です。

1911年、アメリカ南部ミシシッピ州のコロンバスに靴のセールスマンの子として生まれたテネシー・ウィリアムズは、牧師の祖父、音楽教師の祖母、夫婦仲のよくない両親、2歳上の姉ローズ、弟デーキンとともに祖父の牧師館でおだやかに育ちました。ところが12歳のときに父の仕事の都合でミズーリ州の工業都市セントルイスのアパート暮らしという環境の変化になじめず、苦悩の日々を送りました。アイオア大学に入学するものの経済的事情で中途退学し、ニューオリンズのホテルでボーイをするなど雑役をしながら、詩、劇、小説を書いて注目されるチャンスをねらっていましたが、なかなかうまくいきません。

1939年、ようやく『アメリカン・ブルース』という1幕物の劇でみとめられ、1944年に初演された自伝的作品『ガラスの動物園』で、はじめて成功をおさめました。セントルイスのアパートの一室を舞台にトム(テネシーの分身)の語りで始まり、昔の夢を追い続ける南部育ちの母を主人公に、足が悪く極度に内気な姉、文学青年の弟という一家を描いた追憶劇でした。この作品は、米文学の最高峰と評価されて出世作となったばかりか、ハリウッド映画にも影響を与え、1950年と87年に映画化されています。

1947年初演の『欲望という名の電車』は、ニューオーリンズを舞台に、南部の没落農園出身の女性ブランチが、粗野な工場労働者の妻のもとに居候したことでまきおこる事件を描いています。これも自伝的な色彩の強い作品で、翌年ピューリツァー賞を受賞し、1951年に映画化され、アーサー・ミラーの『セールスマンの死』とともに、戦後アメリカ演劇の傑作とされています。1955年に初演された『熱いトタン屋根の猫』は、性の抑圧に苦しむ女性が強く自己主張し、挫折せずに生きぬく野性的な作品で、これもピューリツァー賞を受賞し、1959年に映画化されています。

その他、「黒い戯曲」とよばれるシリーズで、主人公が迫害されてむざんな最期をとげる『地獄のオルフェイス』『この夏突然に』『青春の甘き小鳥』、映画化された『ベビイ・ドール』『ローマの哀愁』など、亡くなるまでに60の戯曲を残しました。これらの作品は、日本の新劇界でも注目され、さまざまな劇団に演じられ、大学でとりあげられた劇を含めると、50〜80年代に数千回も演じられたといわれています。

なお、1975年には『回想録』を発表し、自身がゲイだったことなど赤裸々に記したことで、世界じゅうにに衝撃を与えました。晩年は死や孤独に対する恐怖からアルコールやドラッグが手放せない生活になり、ニューヨークのホテルでボトル・キャップをのどにつまらせて窒息死したと伝えられています。


「2月25日にあった主なできごと」

903年 菅原道真死去…幼少の頃から学問の誉れが高く、学者から右大臣にまでのぼりつめたものの、政敵に陥れられて九州の大宰府へ左遷された平安時代の学者 菅原道真が亡くなりました。

1000年 一条天皇2人の正妻…平安時代中期、政治を支配していた関白の藤原道長は、長女の彰子(しょうし)を一条天皇に嫁がせ、孫を天皇にしようと画策していましたが、この日藤原定子(ていし)を一条天皇の皇后に、彰子を中宮として、ともに天皇の正妻としました。

1670年 箱根用水完成…5年にもわたるノミやツルハシでトンネルを掘る難工事の末、芦ノ湖と現在の裾野市を結ぶ1280mの用水路箱根用水が完成しました。幕府や藩の力を借りずに、延べ人数83万人余という農民や町民の手で作り上げ、現在に至るまで裾野市とその周辺地域に灌漑用水を供給している技術は、高く評価されています。

1841年 ルノアール誕生…フランスの印象派の画家で、風景画や花などの静物画から人物画まで、世界中でもっとも人気の高い画家の一人ルノアールが生まれました。

1953年 斉藤茂吉死去…写実的、生活密着的な歌風を特徴とするアララギ派の歌人の中心だった斎藤茂吉が亡くなりました。
投稿日:2014年02月25日(火) 06:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)