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「人道主義運動」 の安部磯雄

今日2月10日は、キリスト教的人道主義の立場から社会民主主義運動を主導し、教育・政治・スポーツなどに大きな役割をはたした安部磯雄(あべ いそお)が、1949年に亡くなった日です。

1865年、福岡藩士岡本家の次男として福岡市に生まれた磯雄 (安部姓は、1884年に徴兵免除の特典のえられる60歳以上の老人のいる家を探し名義上安部家の養子となったもの) は、英語を学ぶために新島襄が京都に設立した同志社英学校(のちの同志社大)に入り、在学中に新島からキリスト教の洗礼を受けました。1884年に同志社を卒業すると欧米にわたり、アメリカの神学校やベルリン大学に留学して社会主義思想にふれたことで、みずから社会主義者を名乗りました。帰国後に同志社教授を経て、1899年に東京専門学校(早稲田大学前身)の講師、さらに教授となります。

そのかたわら、人道主義の立場から社会運動や労働運動にかかわり、1901年には片山潜や幸徳秋水らと社会民主党を結成するものの、2日後に禁止をいいわたされました。1904年にはじまった日露戦争時には、幸徳らが設立した反戦組織「平民社」には加わらなかったものの、「平民新聞」を後押しし、反戦論をとなえました。

1910年に「大逆事件」(幸徳らが明治天皇暗殺計画を企てたとして11名が死刑となったえん罪とされる事件) 以後は、社会主義の実践活動から離れましたが、婦人問題に力をそそぎ、1911年に「吉原遊廓」が全焼し多数の娼妓が逃げ場を失って焼死したことを重く見て公娼制度の廃止を求めた「廓清会」をリードしたり、産児制限など、初期の女性解放運動にも積極的にかかわりました。

1924年、日本フェビアン協会を設立して社会民主主義の普及につとめ、1928年の第1回普通選挙に社会民衆党から立候補し、衆議院議員連続5回の当選をはたしました。社会民衆党の党首、社会大衆党委員長を歴任しましたが、大衆党委員長時代の1939年には、右翼から襲撃されて負傷したこともあります(安部磯雄襲撃事件)。戦後は日本社会党の結成に参加して同党の顧問となり、東京市会議員にも選ばれましたが、83歳で亡くなりました。

なお安部は、1901年に早稲田大野球部初代部長となり、アメリカ遠征を行って野球技術や練習法を持ち帰って早慶戦のきっかけをつくり、1930年東京六大学野球連盟初代会長、1946年日本学生野球協会初代会長に就任したことで、「学生野球の父」ともいわれています。また、1912年には柔道の嘉納治五郎らと大日本体育協会を設立し、近代スポーツの導入にも大きな役割を果たしています。


「2月10日にあった主なできごと」

1657年 新井白石誕生…江戸時代中期に活躍した旗本・政治家であり、歴史、文学、言語学、政治、地理、兵法、考古学、民俗学などにも通じる博学の学者だった新井白石が生まれました。

1763年 イギリスがカナダを獲得…イギリスとフランスとの間で争われた植民地7年戦争が終わり、パリ条約が結ばれて、フランスはカナダをはじめ、ミシシッピー川以東のルイジアナをイギリスに譲渡し、北アメリカの領土を失いました。英国はすでにインドのフランス植民地も得て、いわゆる「太陽の没しない大帝国」を築き上げました。

1851年 水野忠邦死去…江戸時代末期に「天保の改革」を指導した水野忠邦が亡くなりました。

1904年 日露戦争勃発…中国東北部の満州と朝鮮半島の支配権をめぐって紛糾した両国でしたが、日本政府はこの日、大国ロシアに対し宣戦布告をしました。
投稿日:2014年02月10日(月) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)