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『ことりのうた』 の与田凖一

今日2月3日は、大正・昭和期の児童文学界に指導的役割をになった児童文学者で詩人の与田凖一(よだ じゅんいち)が、1997年に亡くなった日です。

1905年、現在の福岡県みやま市に生まれた凖一は、生後まもなく親戚の与田家の養子となりましたが、養父母が相次いで亡くなったため、実家の浅山家で育ちました。地元の高等小学校を卒業後に町役場などに務めるかたわら、小学校検定試験にいどんで合格。筑後市で小学校教員として働きながら、鈴木三重吉が創刊した児童文学雑誌「赤い鳥」に詩や童話を送り続けるうち、同郷の詩人北原白秋に認められました。1928年に上京し「赤い鳥」の編集にたずさわるいっぽう、「子どものくに」など「赤い鳥」以外の児童雑誌にも積極的に作品を発表して、本格的な執筆活動を開始しました。

1933年に初の童謡集『旗・蜂・雲』を刊行、これまで発表してきた作品以外にも未発表作品を含む81編の童謡を収録しました。白秋はこの童謡集の序に「わたくしは最も親しい分身として、彼を世に推薦することを喜ぶ」と書き、与田にいかに大きな期待をよせていたかがわかります。この処女作には、与田の代表作といわれる「鶴」「木鼠(りす)」、「月を」「父」「雪を待つ」など短詩型印象詩といわれる秀作も収録され、昭和初期を代表する童謡集と評価されています。

さらに与田は、白秋、西条八十、野口雨情らによって築かれ童謡を、少年詩として読むに耐えうる「うた」へと高めることに心血をそそぎ、1940年の『山羊と皿』(第1回児童文化賞)、戦後に発表した詩集『野ゆき山ゆき』(野間児童文芸賞)、『ゆめみることば』などに結実させています。

戦後は、主として童話を書き続け、『十二のきりかぶ』『五十一のザボン』『小さな町の六』など、人間愛を追求した多くの作品を発表。1967年には「与田凖一全集」でサンケイ児童出版文化賞を受賞しています。1950年から1960年まで日本女子大講師として児童文学を講じ、1962年からは日本児童文学者協会の会長として、新人の育成に力をそそぎました。門下にはまど・みちおをはじめ、岩崎京子、生源寺美子、あまんきみこ、宮川ひろらがいます。

与田の作詞・芥川也寸志作曲による童謡「ことりのうた」(♪ ことりはとっても うたがすき かあさんよぶのも うたでよぶ ぴぴぴぴぴ ちちちちち ぴちくりぴい……)は、いまも子どもたちに根強い人気があります。また、与田の訳詞したロシア民謡「ステンカラージン」(♪ くおんにとどろく ヴォルガの流れ 目にこそ映えゆく ステンカラージンの舟……)は、戦後に盛り上がった「うたごえ運動」の、定番ソングのひとつでした。

なお、「ブルーライトヨコハマ」「君だけを」「ブルーシャトー」など、たくさんのヒット曲を作詞した橋本淳(本名・与田準介)は、与田の長男です。


「2月3日にあった主なできごと」

1468年 グーテンベルク死去…ドイツの金属加工職人で、活版印刷技術を実用化し、初めて聖書を印刷したことで知られるグーテンベルクが亡くなりました。

1637年 本阿弥光悦死去…豊臣秀吉の時代から江戸初期にかけ、書、陶芸、蒔絵、茶道、作庭、能面彫などさまざまな芸術に秀で、出版までも手がけた本阿弥光悦が亡くなりました。

1809年 メンデルスゾーン誕生…世界3大バイオリン協奏曲の一つと賞賛される「バイオリン協奏曲」をはじめ、『真夏の夜の夢』『フィンガルの洞窟』などを作曲したメンデルスゾーンが生まれました。

1901年 福沢諭吉死去…『学問のすすめ』『西洋事情』などを著し、慶応義塾を設立するなど、明治期の民間教育を広めることに力をそそぎ、啓蒙思想家の第一人者と評される福沢諭吉が亡くなりました。
投稿日:2014年02月03日(月) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)