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「柔道の神様」 三船久蔵

今日1月27日は、小柄な体型にもかかわらず、「空気投げ」など数々の新技をあみだし、最高位の十段(名人)に昇進した柔道家の三船久蔵(みふね きゅうぞう)が、1965年に亡くなった日です。

1883年、現在の岩手県久慈市に生まれた三船久蔵は、「悪ガキ」とよばれるほどわんぱくな少年でした。みかねた父親は社会勉強をさせようと高等小学校を卒業後、役所勤めをさせましたが、わずか2週間で退職してしまいました。心を入れかえた三船は勉学に勤しみ、名門仙台二中に入学。ここで柔道に出会ったことが三船の将来を決定づけました。学生時代のほとんどを柔道に打ちこみ、旧制第二高校に通っては師範の大和田義一に熱心に教えを受けるうちにめきめき上達、中学生の三船が高校生を相手に10人をごぼう抜きにするほどの腕前となりました。

仙台には互角に戦える相手がいなくなったことで、三船は1903年に上京し、柔道を創設した嘉納治五郎が館長をつとめる「講道館」に入門しました。日本じゅうから柔道をめざす若者たちのなかには、三船のような身長159cm、体重55kgという小柄な体格の者はいませんでした。そんな三船でしたが、厳しい稽古にはげみ、3か月後には初段、講道館有段者試合で8人抜きをするや、入門半年目にして2段になりました。さらに毎年のように段をあげ、1909年には25歳で5段に昇進、「講道館の風雲児」とよばれるようになりました。その間、1904年に東京専門学校(後の早稲田大)予科をへて、翌年からは慶應義塾理財科に学んでいます。

その後は、講道館の師範役となって、東京帝国大(東大)、明治大、日大など11の学校の柔道師範をつとめながら、1923年には、7段に昇段しました。神業といわれた「空気投げ(隅がえし)」を編み出したのは、この年のことです。この技は、相手が動きに移ろうとした瞬間に自分の重心を下げて相手を浮かし、足も腰も使わずに投げ飛ばすという空前の技でした。「倒す倒されるは力学」と知って物理学の研究にも力をそそいだ成果でした。三船はこの他にも、「球ぐるま」「横わかれ」「大ぐるま」「きびすがえし」など、数多くの新技を生みだしています。

1930年の第1回全日本柔道選手権や1937年の天覧試合では、「模範乱どり」を披露して、柔道の面白さを一般の人に広めたのをはじめ、1940年には海外柔道講演旅行にでかけて、世界に柔道の奥深さを知らせることにつとめました。そんな柔道の発展や普及に努めたことも高く評価され、1945年、ついに柔道界の最高位である十段にのぼりつめたのでした。

「柔道は『動』の世界だが、人間は『動』ばかりでは調和がとれない。『静』の境地に入って、じっくり考える習慣が必要」という信念で、柔道ばかりでなく、書道にも、将棋にも一級の腕前を示し、集中力の養成や精神修養を怠りませんでした。

柔道審判員としても活躍し、1956年に東京で開催された世界柔道選手権大会で審判をつとめたほか、1964年の東京オリンピックでは柔道競技運営委員をつとめ、国際競技としての「柔道の発展」を見守りました。その翌年、「理論の嘉納、実践の三船」といわれ、「柔道の神様」とあがめられた生涯を閉じましたが、名誉市民となった出身地の岩手県久慈市には、「三船十段記念館」が建てられています。


「1月27日にあった主なできごと」

1219年 源実朝死去…鎌倉幕府の第3代将軍で、歌人としても著名な源実朝が、兄の2代将軍頼家の子公暁に暗殺されました。公暁も殺され、源氏の血が絶えてしまいました。

1756年 モーツァルト誕生…ハイドンやベートーべンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人であるオーストリアの作曲家のモーツァルトが生まれました。

1832年 キャロル誕生…イギリスの数学(幾何学)者でありながら『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』 などファンタジーあふれる児童文学作品を著したキャロル(本名ドジソン)が生まれました。

1902年 八甲田山遭難事件…日本陸軍の歩兵隊が青森県八甲田山で冬季訓練中に遭難し、訓練への参加者210名中199名が死亡。軍の無謀な訓練が問題になりました。
投稿日:2014年01月27日(月) 05:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)