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『花と竜』 の火野葦平

今日1月24日は、『糞尿譚』『麦と兵隊』『花と竜』など、ぼう大な小説を著した作家の火野葦平(ひの あしへい)が、1960年に亡くなった日です。

1907年、福岡県・北九州市に石炭運搬業を営む「玉井組」組長玉井金五郎の長男として生まれた火野(本名・玉井勝則)は、旧制小倉中学時代から文学を志して創作活動をはじめ、第一高等学院に入学すると、童話集を自費出版しました。1926年に早稲田大英文科入学後は、友人たちと同人雑誌を創刊して誌上に小説や詩を発表。1928年3年在学時に兵役に入り福岡第24連隊に配属されました。除隊後も大学にもどらず、家業の「玉井組」をひきつぎ、自ら若松港湾の沖仲仕として働きはじめました。やがて沖仲仕の労働組合を結成して指導者となるものの検挙されて転向、地元の同人誌に参加して再び文学活動をはじめました。

1937年に日中戦争に応召され、出征前に書いた『糞尿譚』が翌年の第6回芥川賞を受賞したことを中国の戦地で知り、現地をおとずれた小林秀雄から賞を手渡されました。これがきっかけとなって、一兵卒から報道部付の従軍作家となり、徐州会戦に進軍中の日本軍兵の生々しい姿やその人間性を、従軍民間マスコミの高慢な態度とあわせて活写した従軍記『麦と兵隊』がベストセラーとなり、さらに「♪ 徐州 徐州と人馬は進む・・・」という同名の歌謡曲もヒットして、いちやく人気作家となり、さらに兵隊3部作となる『土と兵隊』『花と兵隊』など、たくさんの戦争小説を書き続けたことで、戦争文学の代表作家といわれるようになりました。

敗戦後は、「戦犯作家」として戦争責任を追及され、1948年から50年まで公職追放を受けました。解除後の1952年、読売新聞に1年余りにわたって連載された、父玉井金五郎の苛烈な生き方を描いた自伝的大河小説『花と竜』を大ヒットさせました。この作品は、連載終了直後の1954年に藤田進主演で『花と龍』(第1部 洞海湾の乱) (第2部 愛憎流転)の二部作として東映で最初の映画化がされています。その後もこの作品は、1962年に日活、1965年と1966年に東映(2009年DVD化)、1973年に松竹で映画化されたほか、1963年と1970年にテレビ朝日、1964年に日本テレビ、1992年にTBSでもテレビドラマ化されています。

その後も火野は、自らの戦争責任を記した『革命前後』などたくさんの作品を著し、1960年のこの日に自宅で亡くなりました。死因は心臓発作と公表されていましたが、13回忌の際に遺族から睡眠薬自殺と発表され、社会に衝撃を与えました。「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さようなら」とノートに書かれていたそうです。


「1月24日にあった主なできごと」

1848年 ゴールドラッシュ…アメリカのカリフォルニア州の大工が偶然に金を発見、歴史に残るゴールドラッシュのきっかけになりました。1849年には一獲千金をねらう8万人もの人々が、西部カリフォルニアをめざしたといわれています。

1911年 幸徳秋水死去…明治時代の社会主義者で、「大逆事件」という天皇の暗殺を企てたという疑いにかけられた幸徳秋水が処刑されました。

1965年 チャーチル死去…第2次世界大戦の際、イギリス首相として連合国を勝利に導くのに大きな力を発揮し、『大戦回顧録』の著書によってノーベル文学賞を受賞したチャーチルが亡くなりました。

1972年 横井庄一発見…太平洋戦争の時の日本兵・横井庄一が、グアム島で発見されました。1944年に上陸してきたアメリカ軍に追われ、島の奥地のジャングルに隠れ、自給自足のくらしを28年も送っていたのです。降伏を恥とする旧日本軍の教えを忠実に守って帰国した横井の第一声は「恥ずかしながら生きながらえて帰ってきました」でした。
投稿日:2014年01月24日(金) 05:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)